2017年ケニアキャンプ報告

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

2017年ケニアキャンプ報告 / 宮城島拓人(内科医 イルファー釧路代表)

迷うことはない(9月15日 旅立ち)
迷うことはない(9月15日 旅立ち)出発の朝7時前にいきなり携帯がけたたましく鳴った。J-アラートだ。北朝鮮がまたミサイルを発射したらしい。北海道上空をかすめて太平洋に落ちたようだが、空襲警報のようなアラートはなんとも不気味だ。ケニアへ出発の日にこれかよ、と思いつつも日本周辺のきな臭さに不安を隠せない。加えて、まだはるか先のケニアには、いつもと違う雰囲気が漂う。
一つは、ビニール問題。突然ビニールのレジ袋やごみ袋の使用が禁止になったケニアの混乱は想像に難くない。ビニール袋を持参しても持ち込んでも隠し持っても最高400万円の罰金、4年以下の懲役なんて誰が信じられよう。
もう一つは、大統領選にからむ政情不安。十年前の選挙無効を訴えての暴動で多くの死者が出たことを思うと、法廷で出直し選挙が決定されたのは、より民主的になったと理解できるが、再選挙後の暴動を恐れて、スーパーマーケットの商品の陳列はかなり自粛しているという。富裕層と貧困層との対立、部族と部族の一触即発はいつものケニアの日常には違いないが、、、
そして外国人による医療支援に対する行政の厳しい制約も昨年からとはいえ、だんだん露骨になってくる。そもそもはインド人による患者ハンティング(ケニアで患者を見つけては治療のために自国へ搬送する)に端を発するのだが、純粋な思いの医療支援にもとばっちりを受けているわけで、現地の稲田先生はその対応に相当神経をすり減らしている。末端の小役人はこのどさくさがチャンスとばかりに賄賂を要求する。
しかし、プムワニの人々、コトレンゴの子供たち、モヨの子供たちは、そんな政治や外力や環境の変化にかまうことなく、自分のささやかな生活を必死に守り、生きている。
ビニールや選挙暴動や賄賂なんて気にしていられない。いつものように自然体で彼らに逢いに行く。その意志さえあればケニア行きに迷うことなどないのだ。もちろん北朝鮮の挑戦なんか気にしていられるか。
平常心・平常心。
迷うことはない(9月15日 旅立ち)通常の仕事をこなして15日の最終便で釧路を発った。今年の釧路組は久しぶりの5人体制。初参加の更科内科医、川嶋看護師、大道寺鍼灸師、2年連続の藤盛歯科医、そして2001年から数えて17回にもなってしまった宮城島である。もちろん釧路労災病院(野々村院長)の協力がなければ成し得ないことだ。
羽田での合流組は、東京都立小児総合医療センターの小児科医、今年4回目の堀越先生を筆頭に2回目連続参加の荒木先生、そして初参加の船越先生。もちろん常連の青山薬剤師(5回目)と柳瀬看護師(4回目)も。最強の医療集団。懐かしい再会もそこそこに、集合写真を一枚とってドバイ行きのエミレーツに乗り込んだ。

スーパーマーケットの異変(9月16日 到着)
先島諸島を襲った台風18号と中国へ向かっていった19号の影響だろうか。乱気流に巻き込まれたドバイ行きの飛行機はかつて経験したことのないほどに揺れた。スーパーマーケットの異変(9月16日 到着)機内サービスもかなり省略され、優雅にアルコールに浸るなどという状況にないまま、それでも定刻でドバイ着。そこで合流したのは、神戸大学感染症科の海老沢先生(2回連続)と初参加の白杉先生。
そして、、、我々日本人集団を見つけて恐る恐る声を掛けてきた若い女性。オーストラリアから参戦した薬剤師の渡辺さんだった。薬剤師になったものの、国際活動に興味があり、語学留学をしていた中での参加。東北や熊本の被災地にも飛び込んで行くほどの熱血女子だ。
後三人が足りないな。実は宮本、坂本看護師(共に2回連続)は一週間前にケニア入りしている。稲田先生の準備サポート(ロジスティックなところ)のため、自ら進んで先発隊を名乗り出た頼りがいのある同志たち。そして、濱ちゃん、ケニア大好きの濱村歯科衛生士(4回目)は当然?独自にケニア入りして我々を待っているはずだ。
トランクを開けられて執拗に中をなめ回され、ビニールの一枚でも出てきたらこれは何だと賄賂の対象にされてしまう。薬剤でも見つけられるものなら没収もあり得る。そんな危惧が頭の中いっぱいに膨らんでの通関だったが、拍子抜けのフリーパス。
当然のことながら、出口には稲田グループの熱烈歓迎が待っていた。アリもワンボゴもマジュマも来てくれていた。そして予想もしていなかったことだが、エンブの塩尻さんも私たちを迎えてくれた。
スーパーマーケットの異変(9月16日 到着)早々にアパートで荷をほどき、生活必需品の買い出しにいつものナクマート(主に中流階級の住民が使うスーパーマーケットで宿舎の近傍にある)に行って驚いた。品物がほとんどない。水すらもない。もちろんビールも野菜も肉も、お土産にするコーヒーもない。大統領選の暴動の余波があるとは聞いていたが、それ以上に政治的な思惑がありそうな予感。
仕方ないのでいつもはいかない高級住宅街のスーパーマーケットに行き、用を足したが、いつもと違うケニアをいきなり見せつけられたことになった。
夜は、いつものホテルのレストランで総決起集会。地元ビールのタスカーの瓶の数は壮大な眺めとなったのもいつものことだ。

HIV陽性者とがん(9月16日 陽性者フォローアップ)
イルファーケニアのオフィスはさらに進化を遂げていた。
床はタイル張りになり、天板は簾で吹いてあった。なんとも日本家屋の趣。フロアの奥には水洗トイレまで完備してしまった。そして土禁!緑色のスリッパ(楽天で購入して日本から持ち込んだ;笑)が瀟洒にゲストを迎える。稲田先生の執念を感じる。
HIV陽性者とがん(9月16日 陽性者フォローアップ)初日はそのオフィスでのHIV陽性者のメディカルチェック。鍼灸と歯科治療希望者を中心に組み込んだものだ。イルファーでフォローしている陽性者はARTの普及とアドヒアランスの改善により、その90%近くがgood controlになっており、そのレベルは日本に近づきつつある。しかし活動が知れ渡るにつれ、治療失敗例が近隣のクリニックから送られてくることが多くなってきておりなかなか100%とはいかない。
確かに、ケニアでもエイズで死ななくなってきた。しかし、糖尿病などの生活習慣病やがんは、エイズ治療プログラムではカバーしきれない。昨日もフォロー中のクライアントが死んだ。糖尿病合併症だった。
左乳房のしこりを訴えて50歳の陽性者が受診した。触診するとテニスボールくらいの不整形の固い腫瘍。しかし表面にわずかに弾力がある。エコー検査をしてみると、二葉に分かれた類円形の腫瘍で、表面はのう胞状、深部は実質性腫瘍で内部が液状化していることが分かった。そのままエコーガイド下に穿刺吸引すると、20mlの黄色調の混濁した液が引けた。野戦病院だからこそできる手技だろう。乳癌の自壊を疑い、セントメリー病院へ紹介する。これでフォロー患者の中で2例の乳癌を認めたことになる。
HIV陽性者とがん(9月16日 陽性者フォローアップ)これからもHIV患者にはどんどん癌が見つかっていくだろうが、イルファーとしてどこまでサポートが出来るのか、今年も初日から難しい命題を突き付けられた。
今回の処置の助手を務めてくれたのが、クリニカルオフィサーのマジュマ。彼女のサポートはとても的確で、理解も早い。エコーにも興味を持っており、今後彼女にエコーのノウハウを伝授すれば、現地診療のレベルアップと継続性に繋がるのは間違いない。
夕方は、明日の会場設営のための物資の運搬。イルファーのオフィスから診療所となるソシアルホールまで徒歩での人海戦術。直射日光を浴びながら医療集団が黙々と運ぶ。
この時だけ、日に焼けるキャンプなのだ。
頭と体を使った初日が終わった。さあ、明日から怒涛の一般外来が始まる。

いきなりフルスロットル!(9月18日一般外来初日)
いきなりフルスロットル!(9月18日一般外来初日)いきなりフルスロットル!(9月18日一般外来初日)この時期のナイロビの朝はむしろ寒いが、太陽が昇ったとたんに暑くなる。晴天の中9時前にはプムワニの会場に着いたのだが、昨年のようにはいかなかった。まだ各ブースの骨組みだけしか出来ていない。行政による(意図的な?)クリニック開設承認の遅れが、準備不足に繋がったようだ。
しかし、これからが早かった。地元スタッフと我々医療集団が総出で一気に開設準備にとりかかり、10時にはオープンにたどり着く。この集中力いいな〜。そう思って呑気に構えていたら、怒涛のように押し寄せる患者にあっという間に押しつぶされてしまった。
喉が痛くて何も呑み込めなくなった女性。一目でわかる口腔咽頭カンジダ症。HIVは?と聞くと昨年は陰性だったと言うが本当か?直ちにHIV検査を勧めるが、仕事が忙しいから明日来ると。こういう人に限って検査からすり抜けようとする。どこでも同じだ。
14歳の男の子。陰茎周囲の皮膚感染と一部潰瘍化。皮膚の形が変だから聞いてみると一週間前に割礼(包皮の切除術)をされている。ケニアッタ病院ではけんもほろろに包交もしてくれなかったと(お金がないなら追い出されるわけだ)。いきなりフルスロットル!(9月18日一般外来初日)いきなりフルスロットル!(9月18日一般外来初日)明らかに割礼による術後感染。もともと宗教的儀式として思春期に割礼が行われてきた地域ではあるが、医学的にも割礼によってHIV感染リスクが60%に抑えられることが証明されている。ゆえに、割礼は途上国ではさかんに推奨されているのだが、このように術後感染をして放置されている例が少なくないのではと考えさせられる。
終わってみれば、小児101人、大人255人、計356人の受診登録数を数えた。初めての大道寺さんも頑張って鍼灸33件、歯科治療は17人。HIV検査は13人中、陽性者はゼロ!だった。いいことだ。
10時オープンとはいえ、いきなりの密度の濃い診療初日だった。


ドクターストライキ、これがケニアだ!(9月19日一般外来2日目)
ドクターストライキ、これがケニアだ!(9月19日一般外来2日目)8時半に着いたのに、外ではすでに長蛇の列。7時前から並んでいるという。
昨日は、ナイロビ市衛生局と地区衛生局の役人がキャンプの視察に来ていた。開設許可をめぐりさんざんいちゃもん(?)をつけた彼らだったが、視察後最後にこう言った。
「これほどまでにクオリティの高い診療と、システミックに整然とされたブースを見たことがない。」
こうやって本質を認めてもらい次の行政との協働に繋がれば申し分ないが、今度の選挙で政変が起これば(その可能性が高いらしい)この関係も一からやり直しになるのだろうか。
8時50分きっかりに外来はスタートした。
頭痛、腰痛、全身の痛み、腹痛、下痢、皮疹、咳痰、発熱、かゆみ、排尿時痛、帯下、、、、いろんな症状が集まる。そんな中で、薬がなくなったからといって受診する人が混じる。なぜ?よく聞いてみると、病院が閉まっているのだと。なんと、公的病院の医師がストライキを起こして三か月になるという。サラリーの低さが原因らしいが、公的病院といえばいつも、手に負えない患者の紹介状を書いていたケニアッタ病院やムバガディ病院もそうではないか!プライベートな病院はストをしていないので、患者が押し寄せて大変らしいが、診療費が高いので払える人しか行けない。どうりで、いつもより多彩な顔ぶれの人が受診していると思った。奇しくも我々のフリーメディカルクリニックが受診難民の受け皿になっているというわけだ。本来の目的としての診療ではないが、これもケニアだ、仕方がない。淡々と受け入れるしかない。
それにしても、昨年は教師による長いストライキがあって、診療所は学校に行けない子供があふれていたのをふと思い出した。通訳たちは次の選挙で大統領が代わったら良くなると言うが、このストライキの根は深いと思わざるを得ない。
ドクターストライキ、これがケニアだ!(9月19日一般外来2日目)今年から血糖測定器を導入した。なかなかの人気であるし、薬物治療は出来ないが、生活指導のきっかけになる。ただし一つ気を付けないといけないことがある。現地の人たちの指の皮がきまって厚いのだ。ランセットの針が皮下に届かなくて血液がサンプリングできないことが何度もあった!
ほとんどブースを出ることなく外来三昧が過ぎていった。そして終わってみれば、528人(小児163人、大人365人)、総処方箋は523枚、この数字は近年最高だろう。歯科治療は34人、鍼灸は38人を記録した。

知らないことの功罪(9月20日一般外来3日目)
知らないことの功罪(9月20日一般外来3日目)朝、いきなりの渋滞。市街中心部へ向かう先に何かあったらしい。事故かもしれないしデモかもしれない。一度止まるとにっちもさっちもいかなくなる。これもケニアだ。
昼食前の最後の最後に腰が重いと中年の女性。腹部は平坦だが、左頚部のリンパ節が腫れている。触ってみると左の腋窩にも小さなリンパ節。そして腰痛。??もしかしてと思ってエコーを腹部に当ててみた。傍大動脈のリンパ節がゴロゴロ腫れている。これは間違いなく悪性リンパ腫だ。HIVと関連あるかもしれないからHIV検査を勧めたところ、「I’m positive.」とあっさり判明。とあるクリニックで一か月前からART(HIVの治療)を始めているとのことだが、その前から首のリンパ節に本人は気が付いている。ということは、リンパ腫はART前にあったにも関わらず、検査なしでHIVの治療を始めたことになる。残念なことだと思う。最初はそう思った。しかしARTの処方医にリンパ腫の治療について検討してもらうために手紙を書き始めながら気が付いた。ARTは無料だが、リンパ腫の化学療法は大変なお金がかかることを。本人が払えるかどうかで治療方針が決まるわけだ。そう考えると、診断してもお金がなくて治療が出来ないのならば、その診断はなんの意味があるのだろう。たとえ寿命が短くなっても病名を知らないでいたほうが良いこともある。くだんのクリニックでは、あえてそうしたのではないか。
リンパ腫を診断して悦に入っていた自分の頭をたたかれたような気がした。これもケニアだ。
知らないことの功罪(9月20日一般外来3日目)午後は恒例のChild survival schoolへ。お金がなくて公的学校へ行けない子供たちが集うドネーションによって成り立っているプライベートスクール。エイズ孤児をはじめ多くの貧困児童が粗末な家屋の中で勉強している。
相変わらずの大歓迎で迎えられ、ノートやボールペン、本、サッカーボールなどを寄贈してきた。年に一回の出合だが、そんな時間を感じさせない繋がりを感じる。ケニアの未来はこの子供たちにかかっているのだ。
I will be back!
思わず子供たちに叫んで学校を後にした。
今日のデータ。小児163人、大人293人、計463人。歯科34人、鍼灸は50人!

医師たちの奮闘そして石を食べる女たち(9月21日一般外来4日目)
医師たちの奮闘そして石を食べる女たち(9月21日一般外来4日目)朝から雨が降っていた。外で列をなして待っている患者たちは大丈夫だろうか?到着したころには雨はやんでいたが、そんな心配をよそに、たくさんの人がもう待っている。
診療4日目。ドクターたちはほぼ要領を得て次々と患者をこなし始めている。
医師たちの奮闘そして石を食べる女たち(9月21日一般外来4日目)内科グループは釧路組と神戸組の4人で編成。今年から両者の仕切りを取り払って大きなブースで4人が診療する形にした。疎通性が担保され、お互い聞きあいながら診療できるのはいい。神戸組はさすが感染症専門だけあって、口腔や皮膚の感染症などには写真をとってデータ化しながら診療を進めている。とくに歯性感染から膿瘍を形成し頬粘膜に穿破し頬の皮膚に潰瘍を形成しているケースに海老沢先生は興奮していた。確かにこんな症例日本ではお目にかかれない。白杉先生は丁寧な英語と癒される関西弁で初参加ながら黙々とこなしている。釧路代表の更科先生も初参加と思えないどっしりとした対応で、次から次へと患者をこなす。診療2日目にして私の患者数に並ぶほどのハイペースだ。一昨年から導入したエコーはいよいよ診療の要になりつつある。神戸組も皮下腫瘤などの鑑別に対して盛んに使用し始めたし、小児も心雑音のケースにドップラー心エコーとして使い始めた。
医師たちの奮闘そして石を食べる女たち(9月21日一般外来4日目)その小児科グループは、マジュマを含めて4名で一つのブースで診療。隣に小児の体重測定のスペースが置かれ、2歳未満の乳幼児に体重測定をして3パーセンタイル未満の子供を拾い上げ栄養指導、生活指導に供している。いまのところ該当者は8%程度で昨年と変わりはない。そのような子供はスワヒリ語の出来るマジュマに指導を依頼することになる。堀越先生は相変わらずボス的風格を持ち、国際保健活動の経験を生かして的確に診察、処置に当たっている。二回目の荒木先生は昨年の経験を活かし、どんどん診療がスムーズになるし、初参加の船越先生も堀越先生を横に擁しながら、初めてとは思えないスムーズな診療をしている、これこそが医療専門集団だ。
医師たちの奮闘そして石を食べる女たち(9月21日一般外来4日目)歯科の藤盛先生は、毎日昨年の実績を超える処置数をたたき出している。濱村歯科衛生士とのアウンの呼吸もすばらしい。そんな忙しいなか、釧路でのケニア報告会(第二回地平線会議;10月8日午後4時、釧路労災病院講堂)のためのビデオ撮影にも余念がない。今年から歯科では器具の消毒にオートクレーブが導入されている。抗生剤も新ガイドライン通り抜歯前の一回服用だけに変更された。医療資源が不足している地域であっても少しでも診療水準を上げようとする日々の努力の結果だ。
面白い主訴で来た女性がいた。「石を食べるのをやめられなので食べるのを止める薬がないか。」異食症か?一瞬そう思って向かいの通訳を見たらただニヤニヤしているだけ。ケニアでは鉄補充のために石を食べる風習(治療習慣)があるらしいのだ。特に妊婦。確かに鉄欠乏になると土を食らうような行動が出ることがあるとは聞いたことがあるが、ケニアではそれが治療として定着しているというのだ。石といっても軟石らしく、それを細かく刻んで時には水と一緒に飲むらしい。かなり結構な量。しかも人によってはそれが美味で、くだんの女性のように、もう必要もないのに食べ続ける人がいるらしいのだ。
石を食べる女たち。いつ来ても驚かされる。
ケニアはまさにワンダーランドなのだった。
本日のデータ、小児131人、大人417人、計548人。歯科37人、鍼45人。

ナースのお仕事(9月22日一般外来5日目)
ナースのお仕事(9月22日一般外来5日目)ナースのお仕事(9月22日一般外来5日目)ナースのお仕事(9月22日一般外来5日目)ナースのお仕事(9月22日一般外来5日目)ナースのお仕事(9月22日一般外来5日目)今年は4人のナースが参加している。三人の超ベテランナースが国際活動初参加の若いイケメン男性看護師を優しくそして厳しく指導していくストーリーを一見思い浮かべるがそんな甘い話はない。
日本の病院の外来や病棟での看護業務を想定するといきなりカルチャーショックに陥ることは必至だ。調剤業務に足を置きながら、時に傷の包交、時に乳幼児の体重測定、時にラボでの採血やデータ整理、時に歯科治療の助手や消毒手伝い、時に物資の運搬。野戦病院でのナースの役割は多彩だ。
一般外来初日にいきなりその洗礼があった。相次いで骨まで達しているような足の潰瘍患者が受診。傷を開放したとたん、たまらない異臭とともに、ハエがたかりだす始末。坂本さんと柳瀬さんが必死で包交をしている姿は神がかっている。以後同じような患者が来るたびに、外に連れ出し、看護師さ〜んと叫ぶ。そして私は外来に専念できる。逃げているわけではない(笑)。採血はテクニシャンのデニスが俺しかいないというような顔つきで独占していたが、彼の隙間を縫ってナースたちが果敢に挑む。頑張れ川嶋、慣れない安全装置のないトンボ針で採血。やった〜3回目で成功した!さもありなん、相手は真っ黒の皮膚。血管は透見出来ないし、初めてはみんな緊張するさ。
スワヒリ語が堪能な柳瀬さんはどこの部署でも重宝される。薬局での服薬指導をスワヒリ語でやっている姿はこれもまた神がかっている。
宮本さんは昨年同様小児科で体重測定を使命としながら、その間隙をぬってすべての部署を見て抜けがないか目を光らせている。
仕事でもキャラクターでも我々のキャンプの潤滑油的存在のこのナースたちはこれからも絶対に必要になるはずだ。
そして今日、最も忙しい外来が終わった。やはり公的病院の医者のストライキが影響しているのだろう、大人の受診が例年より著しく多かった。予想以上の処方箋の出方で底をつく薬が続出したのだ。
終わってみれば、小児185人、大人452人、計651人。処方箋は635枚。歯科の48人は最高記録。鍼は45人だった。私自身145人の患者を診たがこれも過去最高(笑)。
明日は、二手に分かれて、小児、歯科グループはコトレンゴへ、その他はプムワニで最後の診療になる。
疲弊した体にタスカーが心地よく浸み込んでいく。


最後のお仕事、そしてコトレンゴで子供たちと触れ合う(9月23日診療最終日)
最後のお仕事、そしてコトレンゴで子供たちと触れ合う(9月23日診療最終日)昨日は外来中、いつもと違う腰痛(シャープな痛みではなくて、なんとなくおもだるい感じ)に見舞われ、診療が終わるまで辛かった。診療後大道寺さんに鍼を打ってもらい少しは改善したのだが、今度は夕食後に発熱。なるほど、あの腰の症状は、風邪の一部だったんだ。同時に下痢も出現。これは飲みすぎかもしれない(笑)。だたし、このキャンプ、何人のスタッフも下痢や体調不良を五月雨式に起こしている。全員が一気になるのではなくて、今日は誰、明日は誰。幸い一日程度で回復し復帰してくるが、ケータリングの昼食などが問題なのだろうが、それ以外でも常に気を抜いてはいけない。昨日も現地スタッフが鉄補給のための石(本当にその辺にころがっているような石なのだ)を持参して、食べてみろと勧められたら食べないわけにはいかない。かみ砕くとざらざらした砂のようになり、決しておいしいとは思えないのに、これがやめられないのだとはどういう味覚をしているのだろうと思ってしまう。その石だって決して衛生管理をされているとは思えないので恐る恐る口に入れた。最後のお仕事、そしてコトレンゴで子供たちと触れ合う(9月23日診療最終日)加えて、押し寄せる患者の多くは風症状を持ってくる。マスクをしているとはいえ、免疫のない日本人には試練だ。
それでも真夜中にペインキラーと抗生剤と眠剤を速攻で飲んで(日本ではこんな服薬は決してしない)、熟睡した結果、なんとか復活した気分。今日も予定通り任務を全うできそうだ。
歯科の二人と小児科の三人そして看護師の二人は朝からコトレンゴへ行き、子供たちのメディカルチェックを行う。残り組はプムワニで午前中診療をする。
来てみたら、半日で閉めるはずなのに長蛇の列。コトレンゴに向かうはずだった小児科医も急遽加わって朝の波を処理してから出発となった。
ロキソニンなくなりました〜。パラセタモールも終了で〜す。目薬なくなりました〜。次々と薬剤師の青山さんの悲痛な声が響く。いつもは金曜日で終わるクリニックが土曜日の午前にまで延長し、さらに予想を上回る受診者で薬の在庫処分もいよいよ底をついた格好だ。
最後のお仕事、そしてコトレンゴで子供たちと触れ合う(9月23日診療最終日)最後に薬局の棚卸をして、午後にコトレンゴで合流。
HIV陽性の孤児たちが暮らす孤児院は遠い昔イタリアの聖職者コトレンゴによりはじめられた団体が管理運営している。昨年初めて訪問してから、稲田先生とマジュマが子供たちのカルテをエクセルに整理し、定期的にサポートするようになった場所だ。初めて医療キャンプに参加した仲間たちにもここの存在を知ってもらい、余裕があれば、子供たちとスキンタッチ交流をしてほしい。そんな意図で全員が集合するようにしたのだ。
ついてみると先発隊は昼食もとらずに子供たちの健康状況、栄養状況、口腔状況、そしてCD4などのデータのチェックをしていた。最後のお仕事、そしてコトレンゴで子供たちと触れ合う(9月23日診療最終日)その傍らで、我々は診療の終わった子供たちと折り紙を折ったり、小児の体重測定を手伝ったり、小児科、歯科には申し訳ないがのんびりと過ごさせてもらった。しかしナイロビ郊外にあるコトレンゴセンターの立地条件は素晴らしい。空気もおいしいし優しい。プムワニとはえらい違いだ。外に出て思いっきり深呼吸をした。
とにかく、これで医療キャンプは終了した。小さくはない疲弊感と脱力感が残るが、達成感もそれに等しい。これがまた来年へのモチベーションになるのだろうか。そんなことを考えていた。
夜はエチオピア料理だ。復活したおなかを満たすのはどの肉料理だろう。

マサイマーケット、そしてモヨへ(9月24日)
炎天下のなかでのゲームショッピングはきつい。ナイロビ市街のまんなかの広場で開催される青空市場。私にはイルファー釧路のイベントバザーのために品物の調達が課せられている。実はプムワニの診療よりも体力と忍耐を必要とするのだ。
値段交渉には体力を要するが、結局自分が欲しい値段で折り合いをつける。まあウインウインになるところを見極めるしかない。というか、昔のような値引きして勝った気分は若気の至りと悟ったということだ。
それにしても、今回はスーパーマーケットの品薄がきつい。何件かハシゴしてやっと十数個のコーヒーをゲットした。結局中流以下の住民は品不足に難渋し、それ以上の人々は潤沢な品物を得ることが出来る構図が明確になっているだけだ。これからの大統領再選挙といいこの国の先行き不安が、マーケットの品薄になっていると思わざるを得ない。
とりあえず、任務を終え、ほっとしながらモヨのあるティカに向かった。束の間のドライブと思いきや、いきなり車中爆睡していた。
マサイマーケット、そしてモヨへ(9月24日)モヨホームでは、およそ20人の子供たちとスタッフが熱烈歓迎してくれた。まずは庭案内された。庭にある野菜畑は子供たちがそれぞれ区割りして育てているのだそうだ。ここがジョセフの畑、ここがアレックスの畑というように。各人の個人的裁量がものをいう仕組みだ。庭の奥に昨年にはなかった池があった。子供たちが穴を掘って魚を放し育てているのだという。ナマズもいるらしい。毎週ちゃんと水をとりかえたり、餌やりをするのは子供たちの仕事だ。鶏小屋やウサギ小屋もあった。ウサギの繁殖はとても早く、子供たちがさばいて食用にしているのだという。
こうやって生きる仕組みと技術が植え付けられている。脆弱な子供たちをシェルターとしてかくまっているだけではないのだ。
マサイマーケット、そしてモヨへ(9月24日)子供たちとは、約一時間自己紹介をしあったり、贈り物のおもちゃで遊んだり。音楽に合わせて踊ったり(ディスコというのか?)、汗だくになり楽しい時間を過ごした。
現在、モヨでは農園作りが着々と進んでおり、農業を通じて子供たちの社会復帰の実現を目指す。来年は是非その農園を訪れてみたいと思った。
終わった。
今年のケニアはこれですべて任務終了。
これから、アパートの一室で料理持ち寄り(と言っても女性チームの料理に頼りっきりというのが正解だ)の最後の晩餐。松下さんもマジュマも参加して盛大なものになるだろう。
明日の夜はケニアを離れるのだ。

総括(9月25日ケニアを発つ日)
総括(9月25日ケニアを発つ日)サファリに行く人たちは朝早く出かけて行った。のんびりと一人遅い朝を迎える。穏やかな天気だ。プムワニでは喧噪と埃と匂いのなかで、また新しい一週間が始まっていることだろう。車でたった30分程度しかない距離の決定的な差は貧困だ。貧富の差の距離を毎日行ったり来たりして我々は過ごした。
9月16日からの今年のキャンプもついに終了した。ただ終わったのは、診療行為だけであり、これからの陽性者のチェックやフォローアップ、薬剤の在庫管理などまだまだ残っていることがたくさんある。たった、一週間程度の外来診療である。終わってはいさよならでは、自己満足に過ぎない。
久しぶりの一人の時間を利用して、今年のキャンプを振り返ってみたいと思う。

1.医療専門職集団
総括(9月25日ケニアを発つ日)今年も医療専門集団という最強のメンバーが集結した。医師では、派遣拠点が明確となりつつある。釧路労災病院、都立小児総合医療センター、神戸大学感染症科。今年もこの三施設から医師派遣が継続された。この強みは大きい。最近のケニア医療事情を考えると、現地で活動する医師登録がかなり厳格化されてきている。ゆえに、医師派遣元が固定されているということは、毎年の準備を早くからしやすいことに繋がる。と同時に、それぞれの施設で経験を仲間同士で共有出来、次の派遣医師への情報伝達がスムーズに行きやすい。どの三施設も毎年ケニアキャンプの報告会を開催しているのはその証左だ。
そして薬剤師。昨年の処方枚数の多さを考慮すると薬剤師一人では限界だと昨年の総括の中で報告したが、今年は二人体制になった。これでかなり激務が緩和すると思われたが、レジスターベースでの一般外来受診患者数は2724人と昨年を700人近く上回ったことで、薬剤業務の忙しさは変わらないように見えた。しかし、青山さん主導で看護師を交えてかなりシステミックに処方され、さしたる混乱にはならなかったように思う。毎年毎年多くの工夫が加えられ、処方がスムーズになるのは目をみはるばかりだ。ここにも素晴らしい専門集団がいる。
看護師は今年4人参加した。川嶋君一人が初参加となったが、柳瀬、宮本、坂本さんは複数経験者。それぞれの個性と専門的技量で、あらゆる分野で野戦病院を支えた。
鍼灸師も毎年あんずの種から派遣され情報共有されてくるので、初参加であっても、診療体制は変わらないし、歯科衛生士は歯科医とのペアリングは必須だ。
昨夜の最終ミーティングで、多くの医療者が来年参加の意向を示してくれたのはとても頼もしい限りだ。来年のメンバーの青写真はほぼ固まっているといっても過言ではない。

2.行政との確執
キャンプの準備のために、稲田先生が疲弊する姿を見てきた。彼や現地スタッフのアリやワンボゴだけではなく、ロジスティシャンの存在が必要だと指摘してきたところだが、今年は、それをサポートするべく、宮本さんと坂本さんが一週間先乗りしてくれた。ただ今回はいつもとちょっと事情が違った。行政のクリニック開設許可騒動である。どこの途上国での医療支援でも見られる光景がある。表面上は友好的で歓迎ムードであっても、どこか余計なお世話をするな的は冷えたまなざしが行政にはある。ケニアもその例外ではない。確かに、現地の医療体制は少しずつ改善されてきていると行政は考えているのかもしれない。住民の医療へのアクセスは私が初めてケニアを訪れた15年以上前よりは格段にハードルが低くなってきているとは思う。しかし、私たちが18年間定点で(プムワニで)継続してきた医療に対して、もう少し理解と協力が必要なのではないかと思う。なんだかんだとクリニック開設許可を先延ばしにし、結局200ドルの賄賂で決着せざるを得ないという事情を見過ごすわけにはいかない。この許可の遅れがすべてのロジスティックに影響した。せっかく二人の有能なロジスティシャンを先乗りさせていたのに、十分機能できなかったのは行政の怠慢としか言いようがない。加えて金曜日には、行政側から行政主催の研修会を開催するので、我々がキャンプで使用しているソシアルホールを引き渡せとの通達があった。こちらが先に使用届を出し、許可をもらっているのに横柄な暴挙だ。幸いすでに機能している我々のキャンプを止められないと悟ったのだろう、通達は実現することはなかった。
こんな確執が最近とみに多いような気がする。行政としては着実に実績を上げている我々の医療行為が目の上のたんこぶにしか見えないのだろうか。トップが代わるたびに出直しさせられることも相当のストレスだ。
そして、今年の医師たちのストライキ。もう3か月にもなるストは、公的病院の機能不全を引き起こし、受診難民たちが我々のキャンプにも大勢訪れていた。行政の対応の幼稚さずさんさが見て取れる。住民は大統領の交代しかないとかすかな期待をかける毎日。そんな政府だ。
しかし、だからといってもうやめた!というわけにはいかない。意地でもこのキャンプは途切れさせてはいけない。現地の住民がもう大丈夫ですと言うまでは。

3.現地のニーズと診療の限界
開設当初の患者は、明日までは確実に生きられるように処置、処方をする刹那的な医療介入であったのは否定し得ない。生きるのも過酷な本当にひどい貧困のなかに彼らは居たのだ。しかしケニアにおいてもHIVは薬剤の普及により死なない感染症になりつつあり、長生きが保証されるようになってくると、結局、糖尿病だの高血圧だのというメタボが蔓延してくる。そして、癌。メタボは生活習慣に負うところが多いのは確実で、特にふくよかな女性が多い現地では、喫緊の問題となりつつある。今年から血糖測定を導入したが、高血糖は予想以上に多い。しかし、たった一週間の外来のなかで、処方はできない。まさに「ケニアのスラムで高血圧は治さない;岩田健太郎先生著」。しかしながら本人と日々の生活のなかでどうすればいいのか、栄養指導を含めて指導することは可能だ。それが最も大切なことだろう。
残念ながら癌はそうはいかない。一昨年からポータブルエコーを持参した。多くの症状のなかで、エコーを駆使して診断に役立てるのは、医療者側としても患者側としてもストレスがなくいいことだと思っていた。医療者側からすればそれは間違いない。しかし、最近思うことがある。診断を明確にすることが、本人にとっていいことなのかと。HIVの治療薬はタダだが、その他の病気の治療には実費がかかる。特に癌やリンパ腫などでの化学療法は医療保険制度の整っていないケニアでは個人負担はかなりの額に及ぶ。エコー検査は確かに有効だ。しかし、治療できないのであればなにも知らないほうが、短い時間でも幸せに生きられることだってあるのではないか。今年のHIV合併リンパ腫のケースを通してそう思った。我々がどこまで診断すればいいのか。そのためにどこまで現代医療で介入すればいいのか。あるいはするべきではないのか。しばらくは禅問答が続きそうだ。

4.これからのあるべき姿
医療集団はある程度確立したとはいえ、どんどん拡大していくには限界があるし、現地のニーズ、そして行政のニーズとも連携しながら今後のキャンプを考えていかなくてはいけない。当初のキャンプの目的は、無料でHIV検査をして陽性者を拾い上げることが大きな目的であった。当初はHIV陽性率が25%を超えるようなところであり、医療に接する機会のなかった貧困層の住民を一般診療で招き入れHIVスクリーニングをしていった。しかし最近では、ケニア国民のほとんどがHIV検査を経験するようになり、リピーターも増えた。今回のキャンプでのHIV陽性率は公式発表ではないがおよそ5%程度。このキャンプのHIV拾い上げの任務は第一義的ではなくなったと言える。加えて稲田先生が7年前より現地入りして、現地スタッフとともに200人以上の陽性者の継続的フォローアップが可能となった。昨年から始めたコトレンゴの子供たち80人のフォローも軌道に乗り、ますます現地での継続した陽性者の医学的フォローアップと医療機関へのコンサルテーションが活動の主体になっている。
では、これからのわずか一週間程度の医療キャンプがどのような意味を成すのか。
一つは、継続することによる現地の住民と信頼とそれにリンクして稲田先生の医療活動の担保である。我々日本の医療専門集団が年に一回であれ、定期的に訪れることで稲田先生の医療活動に広がりと信頼が付与されるのであれば、意義は大きい。二つは、若手医療者たちの国際貢献の場の提供と教育。今、考えられる医療キャンプの現実的意義はこの二つだと思う。しかし、キャンプ形態はニーズに合わせて変わってもいいと思う。
もちろんNPOイルファーの資金事情にもよるが、キャンプの規模を縮小して、陽性者のエコー検査外来や歯科外来、鍼灸外来、そしてコトレンゴのメディカルチェックを中心に据えるのも一つだ。
総括(9月25日ケニアを発つ日)現在の形態をしばらくは継続しながら、行政の行動を伺いながら、そしてNPOの予算を確認しながら先を見据えたキャンプを考えてかなくてはいけない。継続することは素晴らしいが、進化があってこそ認められる。惰性ではだめなのだ。
また、考えることが増えてきた。とにかく今年の診療は終わった。日本に帰って日常の業務に忙殺されながらでも、今後のありかたをゆっくり考えていきたいと思う。
しかしながらこれは本当だ。多くのスタッフが少々体調を崩したが、最高のパフォーマンスを出せたキャンプだったことは誇りに思う。そして、参加者みんなに感謝したい。
日本の同僚、サポーター、そして家族にも。
ありがとう。