ケニアレポート(2015)

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

ケニア医療キャンプ2015レポート / 宮城島拓人(内科医 イルファー釧路代表)

Departure(9月11日)
台風18号の猛威は北関東・東北を水浸しにした。メディアで流される堤防決壊の映像は、まさに東日本大震災の津波の映像と重なり合う。いまだかつて経験したことのない豪雨だと、気象庁報道官は叫んでいる。Departure避難勧告が信じられないほどの膨大な数の住民に届けられる。
そして、その喧噪に隠れるように台風17号が東北海道に向かって密やかに進んでいる。
こんな時に我々は旅立つことになった。
ケニアなんか行かずにまっすぐ北関東に向かったらどうだ。そんな声が頭をかすめる。
後ろ髪を引かれる思いは抜けない。
昼の便は欠航になった。多くの仲間たちから、心配と激励のメールが来るが、自然が相手だ、どうすることも出来ない。
釧路羽田最終便が飛ばなかったら、大きな力がケニア行きをやめさせたということにしよう。そんな思いで釧路空港に向かった。
しかし、
あっけないほど簡単に飛行機は飛んだ。
大きな力はケニアを選んだようだ。
腹は決まった。ケニアになんとしてもたどり着くしかないのだ。
第24回ケニアフリーメディカルキャンプ。私にとっては15回目のケニア。
釧路からは二年連続参加の大坪先生(歯科医)、初参加の若手医師、北原先生。女性鍼灸師の得田さんも初参加だ。
羽田で合流したのは、昨年も参加した堀越先生とその同僚の磯貝先生。同じ東京組の青山薬剤師と柳瀬看護師は一足先にエティハド航空で成田から出発しているはずだ。
おのおのが30Kgぎりぎりまで詰め込んだトランクはすでに機内に収納されている。
これから、ケニアまでの長いフライトが始まる。
今年も、可能な限り、日々の活動を配信するつもりだ。
私個人の私的な感想日記であることに変わりないが、イルファー釧路の代表として、そしてNPO法人イルファーの役員として、様々な形で支援してくれる人たちにタイムリーに報告する義務があると理解している。
とりわけ今年は、引退を表明した山下潔理事長(NPO法人イルファーの発足から多大な努力を惜しまず、組織作りに奔走してくれた同志)にこのブログを贈りたい。
さあ、始まった。

退屈しないケニアへの道、そして再会(9月12日)
台風を奇蹟的に抜け出た釧路組は羽田で東京組と合流し、無事定刻にドバイ空港へ。
退屈しないケニアへの道、そして再会エアポートで関西組(昨年からの参加となる濱村歯科衛生士と神戸大学感染症内科のプロ、初参加の工藤、大倉両先生)と待ち合わせて、冷や汗ものの行程もなんとかここまで来たと安堵した矢先、いつもは笑顔満面の得田さんの顔が蒼白になっているのに気が付く。
どうした?
パスポートがないんです。
何だって?!
どうやら飛行機のシートに置き忘れたらしい。
すぐに、エミレーツのカウンターに問いかけるも、ここではわからないからポリスへ行けと、日本では考えられない扱いをうける。空港内のポリスへ行くと、今度は遺失物センターへ行けと。やれやれ著しく長いターミナルの端から端を往復だ。
パスポート紛失を報告し、乗ってきた飛行機とシート番号を届けたら、一時間後に来てくれと言われ、笑顔の消えた得田さんを見るに忍びない長い長い待ち時間を経て再訪してみると、 あった!
職員と得田さんが泣きながらの抱擁。良かった〜。
出てくるとは思ったが最悪の事も考えていた私も、涙が出るほど嬉しかった。エミレーツの最初の対応には閉口したが、最後は機材管理と社員モラルに感謝。
ブールバードホテルのレストランでの歓迎パーティーそれにしても台風といいパスポート事件といい、今回のケニア行きは最初から退屈させない。
そしてついに日本の11人の侍はナイロビに降り立った。つい最近にも来たかのようなデジャブーは、昨年となんにも変っていない火災後の再建中のターミナルのせいかもしれない。
25℃薄曇りの空。
稲田先生、アリ、ワンボゴのいつもの面々に熱烈に迎えられ、一瞬にしていつものケニア生活に戻った気がする。
そして恒例のブールバードホテルのレストランでの歓迎パーティー。
つい最近飲んだばかりのタスカー、これもデジャブーなのか。
旨かった。タスカーはケニアで飲むのが一番旨い。
とにかく、みんな無事に着いた。心地よい疲労感に包まれて、明日のHIV陽性者診療を迎える。

エマさんとの再会そしてHIV陽性者フォローアップ(9月13日)
夜中に突然アラームが鳴り響いた。エマさんとの再会そしてHIV陽性者フォローアップ開け放たれた北原先生の寝室からだ。本人はビクともせずにリビングのソファで寝ている。ここは時差6時間のケニアだ。日本の目覚ましは夜中に鳴る。あたり前だぞ、北原。

朝、エマさんと4年ぶりに再会を果たした。ニューヨークのサウスブロンクスの病院に勤務するペールー出身の小児科医。二年前に肺癌で夫を亡くし、ケニアでの子供たちが忘れられずに、息子と共に再登場となった。
彼女は今回を含め8回目のケニア。以前彼女に聞いたことがある。
「なぜケニアに来るの?」
「ここが好きだから」
エマさんとの再会そしてHIV陽性者フォローアップ答えは短く、そして明快だった。その言葉に自分のくだらない葛藤が吹き飛んだのをよく覚えている。
日曜日のナイロビの道はさすがにすいていた。 朝8時半にはHIV陽性者フォローアップのオフィスに着いた。
賃貸再契約の後、稲田先生が一人でこつこつとリノベーションしたイルファーケニアのオフィスだ。柱で各ブースの仕切りを作り、床にコンクリートを流し、トイレまで作ってしまった。驚くほどのDIY(Do it yourself)精神とタレントぶり。
しかし、ここでも試練が待っていた。
停電だ。
備え付けていたジェネレータを動かしなんとか電気を確保し診療開始。
内科のメディカルチェックと歯科、鍼灸治療。歯科は8人を診察しのべ12本の抜歯。鍼灸は10人を治療した。
薬局の青山さんは、明日からの本格的稼働のための在庫管理に余念がない。
釧路から持参した超音波の検査を行った。
エマさんとの再会そしてHIV陽性者フォローアップ乳がんで化学療法をしている患者さんの乳房腫瘍のサイズ変化と肝転移などの有無の検索。
順調に小さくなっているようで安心した。この人がこれからの数日間、我々の夕食を料理してくれることになる。
腹満で訪れた65歳の女性。もちろんHIV陽性だが、B型肝炎ウイルスも陽性。明らかに腹水があり、エコー検査となった。肝硬変があるのだろうとタカをくくっていたが、なんと腹水のみならず卵巣に腫瘍があった。肝硬変はなく、胆嚢壁厚も正常。間違いなくがん性腹膜炎で卵巣がんか胃がんの卵巣転移ということかもしれない。HIVの薬を処方している病院にレポートを書いたが、これ以上精査も治療も出来ないのだ。私もつらいが本人はもっとつらいはずだ。
HIV陽性者患者フォローが終了し、明日の一般外来の会場設営。これが結構な肉体労働だが、暑い夕方の日差しのなかなんとかやり終えた。
帰ったら、前出の彼女が暖かな夕食をサーブしてくれるはずだ。そこにタスカーがあればそれでいい。

三人の小児科医(9月14日)
この時期のナイロビの朝は遅い。
三人の小児科医重く垂れこめた雲がまた6時でも薄暗い空を演出している。
それでも爽やかな鳥の囀りに朝を感じる。
昨夜は、出張コックさんたちのチキン、そしてビーフカレーとほうれん草のきざみ炒め、唐辛子の入ったピリ辛サラダとチャパティー。十分すぎるほどのおいしい夕食だった。仕事が終わって帰ったらすぐに食にありつける幸せ。初日なのにすでにミッションが終わったような宴会になるのも頷ける。
さあ、外来初日。
もう段取りも慣れたもので、9時半には診療が開始した。
このキャンプ始まって以来のことがあった。
小児科医が三人体制である。
三人の小児科医三人の小児科医三人の小児科医今まではエマさんが一人で小児を受け持っていた。彼女が抜けた後は小児科不在でなんとか乗り切り、昨年の堀越先生の登場により、一息ついた。それでも、アダルトブースで可能な限りサポートをしながらなんとか切り抜けてきた歴史のなかで、今回いきなり三人の小児科医体制が誕生したのだ。
初日ということで受付でのコントロールがあっただろうが、終わってみれば総計286人の患者を診察し、うち小児は90人。いつもなら成人外来が終わっても小児ブースは遅くまで長蛇の列が続いていたが、今日は成人も小児も同じころにストレスなく終わることが出来た。
三人の小児科医小児科の需要の多さに対応できそうな今回のキャンプに安堵を感じた一瞬だった。
鍼灸も余裕の24人。スワヒリ語かと思えば英語を教わりながら頑張る得田さんの笑顔がまぶしい。
そして歯科ブースも昨年のコンビはしっかりと19人の抜歯を執り行っていた。
薬局も青山さんを中心に、柳瀬、柏谷の両看護師と、エマの息子のトーマスがチームワーク良く、特に小児の煩雑な処方箋をこなしていた。
明日は死ぬほど多くの患者が来るぞと現地スタッフのムサに脅かされたが、なんでも来いよという心境になる上々の初日だった。

塩尻さんと仲間たち(9月15日)
塩尻さんと仲間たち小雨の朝だった。それでも患者たちは、外で列を作っていた。
9時にはすべてのブースの準備完了。第二日目のスタートだ。
いきなり湿性咳の憔悴しきった男性。いかにも結核だ。本人は目が見えないから白内障の治療が先だという。それどころじゃない。すぐにムバガディホスピタル(呼吸器の専門病院)に紹介状を書く。
食べるたびに吐く男の話。
Whenever I eat, I vomit.
ただ事ならぬ訴えに、エコーをしてみることにした。胃が液体で満たされていて拡張している。そして出口の狭窄。どう見ても胃癌だろう。このケースもケニアッタホスピタルに紹介状を書いて行ってもらった。一度は診てくれるはずだ。ただお金がなければそれでジ・エンドになる可能性がある。辛い。
塩尻さんと仲間たち塩尻さんと仲間たち昼近くなって、エンブ(ナイロビから車で2〜3時間の街)の塩尻さんがスタッフを連れて視察に来た。今回のキャンプに参加している看護師の柳瀬さんも柏谷さんもエンブのスタッフだった。
夫婦で四半世紀、ケニアの人たちに人生を捧げてきた塩尻さん。小学校、職業学校そしてクリニックを次々と立ち上げ、まさに地元に根のはった活動をしている。今日本で研修をしている息子さんが医師としてこの地に戻ってくる日も近いという。
塩尻さんと仲間たち今日、温和な笑顔のなかにもぶれないしっかりとした意志を感じる塩尻さんにお会いして、塩尻ファミリーこそ風に立つライオンだと実感した。
エンブの塩尻さん、ティカの松下照美さん。イルファーのプロジェクトもこうした横の糸を織り込んでいくことで、一歩前に進むのだと心から思った。そうだ木曜日には松下さんが来てくれる。
今日一日の診察患者数は414人。うち小児は166人。処方箋枚数398枚。なんと今日一日で鍼灸は68人(すごいぞ、さとちゃん!)を記録した。
二日間でHIV検査をしたのは78人、陽性者は3人(3.8%)だった。
今日は大坪先生の誕生日。盛大な宴会になること間違いない。めいっぱい働いたんだ、それでいい。

継続の力(9月16日)
一般外来3日目。定刻9時にスタート、すごいぞ。地元スタッフも心得たものだ。
良くわからない腹部全体の痛みや違和感、食欲不振の患者に対して、まず聞くことがある。いつ駆虫(deworm)した?
つまり虫下しの薬を飲んだのはいつ?
日本では考えられないことだが、腸管寄生虫がとても多い。だから大人は三か月に一回はdewormすることが推奨されているらしいが、ここプムワニではそんなことお構いなしの人ばかりだ。そうさ、駆虫剤だってお金がかかる。
今回のキャンプには、ケニア在住30有余年の報道カメラマンの中野さんが帯同し我々を激写(笑)してくれている。そして本日はエリトリアの領事が視察に来た。
継続の力継続の力二人ともマキさん(五十嵐真希さん、日本赤十字から派遣され、8年にわたってケニアで地域保健活動を行いながら、イルファーのキャンプを支えてくれた女神さん。今回活動場所がレバノンに変更になりケニアを離れることになった)の人脈でキャンプを知り、15年の歴史のあるこのプムワニでの医療活動に大変興味を持ち訪問が実現した。マキさんに感謝。こうして内外のいろんな領域の人々に認知されていくこと、それが継続のモチベーションにもなり得るのだ。だから視察に来た人には丁寧に案内し説明をする。もちろん稲田先生の仕事だが。
稲田先生といえば、毎年恒例のプムワニサバイバルスクール訪問。
継続の力午後の照りつける太陽のなか、徒歩で学校を目指した。子供たちは稲田先生を見つけたとたん、イナダ、イナダと叫びながら、アリがたかるが如くに先生を取り巻いている。スーパースターを迎えるような絶大な人気である。これも15年欠かさず、学校訪問を継続してきた結果なのだろう。
同じところで続けてきたからこそ、価値があるのだ。
本日の受診者は348人、うち小児は103人、処方箋290枚。
鍼灸68人、歯科22人。
帰りはすごい渋滞に巻き込まれた。ナイロビ名物を楽しんだということにしよう。

ニューフェイスの医師たちと松下さん(9月17日)
6時半、突然と夜が終わると、そこには抜けるような青空が広がっていた。ケニアに来て初めて朝が晴れた。一般外来4日目はこうして始まった。
マラリアをどう見抜くか。
発熱と全身痛とくに関節痛、倦怠感を訴える患者はだいだいがマラリアじゃないかと言ってくる。そこで、聞くことがある。
最近ナイロビから離れてどこか行ってきたか?
標高1500m以上の高地にあるナイロビ周辺ではマラリアを媒介する蚊が生息できない。
マラリア検査キットマラリア検査キットだから基本的には(例外もあるが)ナイロビにいてマラリアはないと考えていい。
それでも、毎年のキャンプでマラリアらしい人に出会う。
今年からマラリア検査キットを導入、初日に早速ケニア西部に旅行してきて発熱した患者を診断キットで確認することが出来た。現地の人にとって、マラリアとtyphoid fever(腸チフス)はきっちりと診断して治療されたいと思っている。彼らのニーズに少し対応出来るようになったことはとても嬉しい。
診療ブースのニューフェイスたち診療ブースのニューフェイスたち診療ブースのニューフェイスたち診療ブースのニューフェイスたち診療ブースのニューフェイスたちは、黙々と与えられた任務をこなしている。と同時に診療レベルを落とさず出来ることを工夫している。さすが専門家集団だ。
神戸大学感染症内科の二人(工藤、大倉先生)は、次々とやってくる感染症様症状に目を光らしながら対応している。あまりにも皮膚真菌感染症の多さに驚きながらも、真菌の亜分類までも追及しようとアトラスとにらめっこしているのはまさに感染症専門医の姿。マラリアを最初に診断したのも彼らだった。釧路から参加の北原先生も、一日絶食で下痢腹痛を乗り越え、フル回転でファンキーな英語を駆使し診療をこなしている。
松下照美さん。小児科ブースでは、磯貝先生が心地よい発音の英語を駆使して子供と親と対峙している。そして、診察の終わった子供に小さおもちゃを渡すのを忘れない。休憩時間に子供とシャボン玉で戯れる姿に癒される。小児感染症の専門医はケニアに来ても子供とのコミュニケーションと自身のスキルアップをかかさない。
今日もキャンプに素敵な訪問者。
松下照美さん。彼女の笑顔に触れると、たちまち元気になる。
日曜日には是非モヨホームを訪問しますと約束。懐かしい子供たちの顔が通り過ぎた。
今日は内科がヘビーだった。トータルの患者数は457人。うち小児は127人。鍼灸は堅調に66人、歯科は23人。途中での停電がまたケニアを醸し出している。

ストライキのなか、プムワニ最終日(9月18日)
ストライキのなか、プムワニ最終日通訳のムナは10月から大学に入学する19歳の女性。
彼女が小学生の妹をキャンプに連れてきた。
学校は?
と何気なく聞いたら、先生のストライキだと。
どのくらい?
三週間になる。
公立学校の教師は、サラリーの低さから時々ストライキをする。しかもずいぶん長期に。優秀な教師(ケニアの教師は基本的に優秀らしい)は、隣国に高待遇で引き抜かれているとも伝え聞く。これでは子供たちの教育はあったものではない。しかし教師だけではない。
医師も時々ストライキを起こす。ストで病院機能がマヒし、結核の治療薬がもらえなくなった子供が、我々のキャンプに助けを求めてきたと、堀越先生が話していた。
警察官は、さすがにストはしないが、低いサラリーを補うため、いたるところで関門を敷いて、通りすがりの車を止めては、いちゃもんをつけて罰金や賄賂をとりまくっているらしい。ムナは、彼らがケニアを崩壊させると、伏し目がちに訴えた。
ストライキのなか、プムワニ最終日私たちのこのようなささやかな医療行為が、ケニア政府にとってどのように映っているのかは、結局のところよくわからない。最近の政府関係者はだれも訪れることはないし、会場となっているソシャルホールの賃貸料も規則だからとどんどん値上げしている。一応、ケニアでの医療行為とNGOとしてのイルファーケニアのライセンスは国から取得しているが、勝手にどうぞ的な印象はぬぐえない。ただ少数だが、私たちの活動に理解と共感を示してくれる代議士たちがいるのは事実だ。
それに比べて、本日も視察に来たエリトリアの人たちは違った。
今日は、水曜日の領事に引き続きエリトリアのケニア大使が訪問した。我々の医療キャンプにとても興味を持っているらしい。エリトリアといえばエチオピアの北の小さな独立国としか知らないが、国内の医療の充実にとても関心があるらしい。我々をリクルートしかねない勢いだが、こそばゆいけど嬉しい。どういう形でも協働できることがあるのなら模索する価値はあると感じた。求められるところに私たちの存在があるのだから。
外傷患者薬局を守ってくれた三人今日はたくさんの外傷が来た。バイクの自損事故による多発皮膚切傷、喧嘩で殴られた傷、などなど。16歳の虫垂炎?による汎発性腹膜炎も飛び込んできた。腹膜反射はあるし、エコーで虫垂周囲に膿瘍がみとめられ、即救急搬送。こんなこともある野戦病院だ。
ストライキのなか、プムワニ最終日そんな野戦病院の薬局を守ってくれた三人(薬剤師の青山さんと、看護師の柳瀬さん、柏谷さん)。英語とスワヒリ語を縦横無尽に使いながら、調剤と説明をしてくれていた。
このかしまし娘たちに何度も救われて今がある。
今日はプムワニでの一般外来最終日。
終わってみれば、437人。うち小児126人。処方箋は393枚に達した。そのなかで鍼灸は最高記録74人。いつものことだが怒涛のような最終日はこうして終わった。
明日はいよいよリムルだ。

リムルにて(9月19日)
リムルにてナイロビから西へ車で小一時間。
リムルは田園風景の拡がるのどかな街だった。和らかな日差しの中空気が透き通っている。
牛やロバや地鶏の鳴き声もどこかのんびりしている。そういえばプムワニでは動物の鳴き声なんか聞こえなかった。
丘の上の教会が、今日の一日だけのクリニック。着いたらすべてのレイアウトが完了していた。前夜入りしたアリやワンボゴ、すごいぞ!
8時半にはすがすがしい中で気持ち良く診察が開始された。
しかし、懸念材料がある。チームの何人かが下痢や腹痛、頭痛発熱でダウンしているのだ。昨日は濱村さん。そして今朝はエマさんと堀越先生。みんな同じ症状なので、きっと現地の昼食のなにかが問題だったのかもしれない。リムルにて幸い濱村さんは一日で回復し、本日は歯科衛生に関するレクチャー(oral health education)を熱心に始めている。歯科治療はオープンしなかったため、大坪先生は今日は濱村さんの助手だ。
エマさんと堀越先生は休養してもらい、今日は磯貝先生とクリニカルオフィサーのマジュマの2人で頑張る。ちょっと腹が緩くなった神戸組も頑張った。
ここの患者層はプムワニとはちょっと違う気がする。痛みの訴えが多いのは同じだが、咳が少ないし、感染症も少ない。プムワニのような貧困著しところで、衛生状態がきわめて悪くダストが多ければ、当然咳や感染症が増えるのかもしれない。ここの患者はやや小ざっぱりした人が多い。農村も決して裕福ではないだろうが、少なくともプムワニよりは、衣食住が足りているのかもしれない。
そう考えると、プムワニでの我々のキャンプの必要性とそのためのノウハウは10年以上の歴史のなかで育んできたものがあるが、はたしてリムルでのキャンプの必要性のあるのかについては検討する価値があるだろう。ただし、HIV陽性者フォローアップやHIV検査による拾い上げはリムルからの要請も強く、これに特化して行うことは十分考慮される。
リムルにてそんなことを考えながら、一日キャンプは終わった。気が付いてみれば自分の診た患者は100人を超えていた。
総患者数409人、うち小児71人。
鍼灸はなんと104人。そして今回初めての試みだったoral health educationの参加者は96人!
日が暮れる間に、ナイロビに戻ったら、件(くだん)の二人は回復傾向にあった。
良かった。
リムルのキャンプはこうして終わり、すべての診療は幕を閉じた。
ご苦労様、みんな。

マサイマーケットそしてモヨへ(9月20日)
マサイマーケットそしてモヨへ朝の陽ざしを浴びるまで、日曜日は寝ていた。仕事の終わった解放感と積み重なった疲労感が入り混じる。幸い体調を壊した面々は快方し、再び共同行動が出来るようになった。
朝はプムワニのマラティブ(イルファーケニアの事務所診察室のあるところ)に集合。NPO法人イルファーから託されたJリーグの名前いり応援マフラーを、地元の女子サッカーチームへ贈呈するためだ。
このチームの監督がプムワニのこの医療キャンプととても繋がりがあるのだ。
彼が高校生でサッカーの選手だったころ、試合で膝を骨折。治療のあてがなく、プムワニの医療キャンプにやってきた。お金がなくて手術が出来ない。手術すればハンディを負わなくてすむ。イルファーが治療サポートをした第一号だった。
無事手術が成功した彼は、サッカーチームの監督として再起を果たした。
この女子チーム、ナイロビの大会で準優勝をするまでになったという。
女子でもサッカーを通じて鍛えられ、たとえ貧困の中にあってもサッカー選手として奨学金を得ることが出来れば、また勉強が続けられるしキャリアアップにつながる。サッカーを必死にやる彼女たちにはそんな目標もあるし、監督はそうやって人生を変えてあげたいと語っていた。
プムワニに別れを告げて、ナイロビ市内のマサイマーケットへ。バザーのためのグッズの買い出しと、ほんの少しのお土産。炎天下のなかでの値引き交渉は本当に疲れるが、初めてきた人たちには新鮮に映ったはずだ。
そして午後、いよいよモヨホームのあるティカへ。ティカはナイロビから北に車で小一時間の街。今回で三回目の訪問になる。
ホームの20人の男の子たちは熱烈歓迎で迎えてくれた。
7歳から21歳までずいぶん幅広い年齢だが、半分は孤児、半分は養育放棄をされたような子供たち。その多くはストリートチルドレンだった。
でも、ここにいるとみんな笑顔になる。なによりも自分の居場所がある。
松下照美さんのこれからの夢は有機農業をみんなでやることだという。もう60歳の後半なのに、まだまだ先を見据える目は涼しげだ。
モヨホームもちろん松下さんにイルファー釧路の10周年記念号とDVDを渡すのは忘れない。そして、自己紹介の子供たちの夢が面白い。誰かが農夫になりたい、と言ったら、おれも、おれもと農夫になりたいの連続。松下さんの夢をちゃんと理解しているのか、はたまたなにも考えていないのか。私は前者だと思っている。
子供たちとおもちゃで遊んだり、濱村さんによる歯磨きの講習があったり、質問コーナーがあったり、楽しい時間を過ごした。もちろん松下さんにイルファー釧路の10周年記念号とDVDを渡すのは忘れない。
また来年の再会を約束してティカを後にした。
そして今夜はフェアウエルパーティー。最初で最後の自炊だ。各部屋が一品ずつ持ちより、のんびりした雰囲気のなかでの大宴会。
さあ、ブログを挙げたら、これから作り出すとしよう。
十勝豚丼のたれの、焼き豚!とサンマのかば焼き(缶詰)!

今年のケニアから見えたもの(連携という絆)〜総括にかえて〜
稲田先生と越乃寒梅昨年に引き続き、国際経験の豊富な医療集団が組織された。 小児科の堀越先生、薬剤師の青山さん、看護師の柳瀬さんに柏谷さん。
堀越先生は日本の小児感染症のリーダーで、東南アジアなどでの保健医療活動の実績も多い。青山さんは東南アジアやネパールなどでの医療支援に積極的な赤十字魂をもつ女性。柳瀬さんも赤十字病院勤務でアフリカでの活動が長いし、柏谷さんは現在塩尻さんのところのエンブで医療活動をしている真っ最中で、我々のキャンプに参加した。しかも柳瀬さん、柏谷さんはスワヒリ語も堪能ときている。そしてもっと興味あることに、柏谷さん以外は、みなリピーターなのだ。つまり我々が継続しているプムワニでの医療支援に対して参加すべき価値がある活動だと無言のなかにも肯定しているから、二度三度と参加してくれるのだと信じる。しかも堀越先生は弟子(磯貝先生)を連れて来てくれた。意味のないところには連れてこないだろう。
さらに、毎年二人の医師を派遣してくれる神戸大学の感染症内科の専門医たち。今年は工藤先生、大倉先生で、毎年ニューフェイスが登場するが、前年の経験をしっかり受け継いできているので、連綿と医療が繋がっている。
そして釧路組。労災病院の理解のなかで、医師派遣は継続されているし、あんずの種(元杏園堂鍼灸院)からは連続的に鍼灸師が派遣されこれも医療の継続に繋がっている。今年は得田慧だ。
加えて、エマさん。しばらくぶりの8回目の登場となったが、彼女の心のなかには、いつもプムワニの人々を愛する気持ちが繋がっていた。エマさんも資源の不足した地域での医療のプロだ。
15年にわたる定点での医療継続が、本当に必要な医療の充実に繋がってきているのは間違いない。
そして、キャンプ期間中に訪れた、塩尻さん、松下さん、リムルの人たち、報道カメラマンの中野さん、そしてエリトリアの大使たち。
塩尻さんや松下さんは激励の訪問だと理解しているが、中野さんは我々の活動を五十嵐さんから伝え聞き、カメラマンという立場で我々の活動を写真に残すという形で参加してくれた。エリトリアも五十嵐さんや中野さんとの関連で伝え聞いたと伺い知るが、本気で何かを得ようとして視察したように思える。
エリトリア。1991年にエチオピアから独立した若い国だが、いまだにエチオピアとの戦争が絶えず、独裁政治、恐怖政治と世界から非難されているようだ。しかし報道カメラマンの中野さんの話では、国内の人々は穏やかに生活しているとのこと。情報は一方的では判断できないことだが、自国の医療を真剣に考えて、視察に来てくれたのなら、それも繋がりと言うべきものと理解している。
いずれにしてもこれらの訪問は、我々の活動が内外から認知され評価されてきたという事実に他ならない。縦糸と横糸、15年続いた定点での縦糸と、協働する仲間たち、特にケニアでの横の繋がり(横糸)をうまく織り込むことが診療の質の維持とさらなる発展につながるのだろう。
しかし、15年続けてきたからよかったというわけにはいかない。なんらかのアウトカムが必要だ。主体目標であるHIV陽性者のフォローの充実による住民への恩恵に繋がるようなアウトカム。私は医療キャンプは当初の目標であったHIVの拾い上げから現地の医療に直接コミットするようなものになってきていると思っている。一年にたった一週間ほどの診療に何が地域医療かと言われそうだが、これも地域で必要とされている医療には違いないし、毎年の疾患スペクトラムから、必要な薬剤の調達を考えていることも事実だ。そして、堀越先生が弟子を連れてきたように、私が後期研修医を連れてくるように、日本の医師のスキルアップ、経験値を積むこと、そしてさらなる国際医療貢献への第一歩としての場所の提供、これもこのキャンプに課せられた意義だと思う。私たちもただ、ボランティアでここに来ているのではない。ギブアンドテイクなのだ。医療キャンプにはそういう側面があると思っている。
今年のキャンプでは、新しい試みとして、地元代議士の要請で試行したリムルでの一日キャンプがあった。
ナイロビから車で小一時間のリムルは、典型的農村であった。プムワニと同じように診療を開始したが、本当に必要な診療をしているのだろうかとだんだん疑問が湧いてきた。
リムルの村では、とりあえず初期対応の医療は出来ているような気がしたのだ。それ以上の医療を求められ、結局出来ないという事が多かったような気がする。
むしろ、肉体的精神的にも日帰りリムル診療は、厳しいかと思われた。相次いで体調不良者が出たが、さらに追い打ちをかけるような強行軍だったような気がする。来年はHIV陽性者フォローに絞ったリムル支援を検討すべきだと思う。
最終日は稲田先生もかなり疲弊したように見受けられたのが気になる。
今年は、夕食の一部(4日間)をケータリングした。イルファーでフォローしている患者さんが元コックだったことから、乳がん治療で職をなくしていた彼女にお願いしたのだ。もちろん相応の日当を出す。これも一つの患者支援。インド料理店で働いていただけあって、カレーの味は格別で、診療から疲れて帰ってきたら、夕食が出来ていることの幸せを再認識した。自炊もいいが、相応の負担がかかるし、外食は値が張るだけではなく、安全面にも不安が残る。来年からもこのようなシステムを維持できることを期待したい。
今年のケニアから見えたもの(連携という絆)〜総括にかえて〜今回は数人の体調不良者を出したが、ケータリングのせいとは思えない。むしろ現地での昼食が原因かもしれないが、幸い一日程度で回復してくれたし、その穴はプライドある医療者集団で乗り越えた。これからもあり得ることとして考えていかないといけないが、衛生管理には十分注意していくことは当然だ。
こうして、ケニア医療キャンプは終わった。
今日は秋分の日。昼のナイロビの太陽は完全に真上にあった。足にまとわりつく影は限りなく小さい。
深夜のフライトまでまだまだ時間がある。
日中だが、飲んでも許されるだろう。乾杯、そしてキャンプに関わったみんな、活動を支援してくれている人たち、地元で留守番をしてくれているみんなに、感謝。