ケニアレポート(2014)

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

フリーメディカルキャンプ'14レポート / 宮城島拓人(内科医 イルファー釧路代表)

詰め込んだ!一人30kg(9月9日)
詰め込んだ!一人30kgいよいよケニアが近づいて来ました。
今日、釧路組5人で、パッキングを行いました。
釧路組は、内科医二人(小田と私)、歯科医一人(大坪)、薬剤師(高橋)そして鍼灸師(原田)の医療職の専門家集団の男所帯。そのため医療物品がたくさんです。
多くの製薬会社からいただいた薬剤はもとより、歯科用ポータブルレントゲンシステムや鍼灸用品、そして今年初めて持参する、ポータブル超音波診断装置。歯ブラシもたくさん。それに、自炊用食品群と子供たちへのプレゼントの数々。
自分たちの持ちものはほんのわずか。
あーだこうだと出し入れしながら、なんとか一人30kgに収まりました。
新聞社の記者のかたの取材に応じて、ぱちりと記念撮影まで。
今年は羽田から飛び立ちます。したがって、荷物は釧路空港からナイロビまでスルーされるはず。
何とかここまで来た、という安堵感。
後は無事にナイロビ空港税関を通過することを祈るだけです。
12日、釧路を発ちます。

プロローグ(雷水解・雷風恒)(9月11日)
私にとって14回目となるケニア医療キャンプは、多くの問題を抱えていました。 昨年あたりから頻発するテロとおぼしき事件が、我々の周辺で起こり得ないとする保証はありません。ただし、多くはソマリア国境近くの街や海岸沿いの都市で起こっており、ナイロビの周辺は昨年のショッピングモール立てこもり事件(まさに昨年私たちの帰国直前に勃発しました)以外は小競り合いのみですが、それでもマタツ(私的乗り合いバス)の爆発があったのは事実です。

そして、西アフリカで猛威をふるっているエボラ感染症。
東アフリカはまだ大丈夫といいながらも、マスコミは脅威を煽っています。

こんな状況で、本当にキャンプが遂行出来るのか?
NPOイルファー本部も、私たちも本当に悩みました。
加えて、キャンプ参加者の人選について、イルファー本部と現地での温度差も生じ、私にとっていよいよモチベーションが上がらない日々が続きました。
安全の確保が担保出来ない以上、今年は中止すべきではないかとの意見も出ました。

しかし、、、
少なくとも昨年から安全のレベルが下がっているのは事実ですが、今まで10年以上継続してきた定点での医療支援をこの程度の障壁で止めることのほうが無念であり、身勝手であると考えることで、吹っ切れました。

後は、ただただ元気一杯を装って?準備に邁進してきました。
ただし、メンバーは医療のプロ集団に限定、必要最小限の精鋭部隊とし、学生の参加は見送りました。

出発準備に忙殺されていたころ、
稲田先生が強盗に遭われ金品を略奪されるという事件が勃発します。
注意を怠らない現場のプロが、簡単にバイオレンスに巻き込まれる事実を目の当たりにすることになります。
参加メンバーに緊急情報を流しましたが、しかし誰一人として参加を辞退する者はおりませんでした。
むしろイルファー釧路が提案した緊急支援にみんな積極的に応じてくれました。

そこでまた火がついた。
命が残された幸運を、私たちが守りましょう。
一から始まるキャンプに、新たな気持ちで臨みましょう。

あるイベントで易占いをしていました。
普段は絶対に振り向かない私ですが、その時はごく自然に占い師の前に座っていました。
眉唾でもなんでもいい、とにかく誰かに背中を押してもらいたかったのでしょう。
今年のケニアキャンプと今後を占ってもらいました。
もし悪い結果が出たら、あなたは取りやめますか?と聞かれました。
止めることはないと思います、と即答しました。
困った顔をしながら易占いが始まりました。

プロローグ(雷水解・雷風恒) 結果は、
雷水解(らいすいかい)
雷風恒(らいふうこう)
雷水解;雷は行動、水は難儀、解は解放、雪解けとも。すなわち、行動することで問題から解放される。
雷風恒;恒は常。恒常的な方針を急変せず、堅実に道を進めば、持続的な繁栄を得る。

易者の優しさに触れました。
悪い結果を出しても、ケニア行きを止めない男への『はなむけ』。
涙が出そうでした。
信じてみようと思いました。

バイオレンス、感染、本部との調整不足。
多くの問題を内包しながら、今年のキャンプは幕を開けます。
でも、必ず易の予言の通りになる。
そう信じています。
もちろん細心の準備と安全対策を講じてこそ、
雷水解・雷風恒なのです。

Going to Kenya(9月12日深夜)
釧路での仕事を定時に終えて、午後8時半発釧路羽田最終便に飛び乗った。
荷物はありがたいことに、釧路空港からナイロビまでスルーとのこと。
30kgの重たいトランクから解放される。
羽田空港で待ち合わせるのは、安藤佐知子(血液内科医;手稲渓仁会)、堀越裕歩(小児科医;東京都立小児総合医療センター)、石島裕太(鍼灸師)、そして釧路の5人侍(小田寿内科医、宮城島拓人内科医、大坪誠治歯科医、高橋道生薬剤師、以上釧路労災病院と原田大祐鍼灸師;杏園堂)の計8人。
関西組の浅川俊(感染症内科医;神戸大学)、Going to Kenya村上義郎(感染症内科医;神戸大学)、濱村千晶(歯科衛生士;名取病院)は今頃関空で落ち合っているはず。もう一人昨年も参加してくれた、青山寿美香薬剤師はエティハド航空でナイロビ入りする予定。
集中豪雨で傷痕の残る日本の各地で総勢12人の医療集団が一斉にうごめき始めている。
医療のプロだけではない。海外での医療ボランティア活動経験の豊富な強者が集結したかつてない集団に仕上がっている。
さて、ここは羽田空港国際ターミナル。
まだ堀越先生と出会っていないが、そろそろ機内へ行くことにする。
出国。
さあ、始まった。

ナイロビの匂い(9月13日)
ナイロビの匂い堀越先生ともドバイのチェックインカウンターでついに出会う。やっと12人の顔ぶれが揃い再び機上の人へ。14時45分ほぼ定刻にナイロビに着いた。
入国審査もスムーズすべてが順調と思われた矢先。
トランクが一つ出てこない。堀越先生のだ!
まあ彼は国際貢献経験の豊富な人、トランクがなくなっても全然動じない。
こっちがあわてているのに、これで三回目だと平然としている。
とりあえず必要な手続きを完了し、出国したのは4時半過ぎだった。
辛抱強く待っていてくれたのは、稲田先生、アリ、ワンボゴの懐かしい顔ぶれ。
嬉しい抱擁だった。
そして強い日差しと、独特な匂いも私たちを迎え入れてくれた。
なんだろう、土とわらと動物の匂い。
早々にアパートにチェックインし、食料品の買い出しへ。安全第一に団体で常に行動。
そしていつものブールバードホテルのレストランでウェルカムパーティーが始まった。
日本組12人と稲田先生、五十嵐さん、それに日本赤十字からアフリカに派遣されている女性二人(佐野さん、山田さん)。
志を同じくしている人たちに垣根はなかった。
稲田先生へのサプライズ 宴の途中、おもむろに立ち上がって勝手に稲田先生へのサプライズ。今回の強盗事件へ対する、緊急義援金を手渡した。
イルファー釧路の関係者、釧路労災病院の職員、過去にケニアキャプに参加した人たち、そして今回参加した人たちからの心のこもったお金を手渡した。
稲田先生自身が元気になってもらうための心の支援。お金で解決するものではないと十分承知しているが、先立つものはやはりお金だ。
一人で頑張らなくていい、明日から私たちが頑張る番だ。
時差ボケを感じる暇もなく、こうして長い一日が終わった。

HIV陽性者外来とお誕生会(9月14日)
HIV陽性者外来とお誕生会きれいな鳥のさえずりで目が覚めた。
5時半。
いつもは、がちゃがちゃとさわがしい鳥の大合唱で起こされたものだが、今日は勝手が違う。どこかの静かな朝霧の草原で体全体がやさしく包まれるような鳥の囀りだった。
ナイロビ入国まで、今まで以上の細心の注意を払ってなんとか辿り着き、ほっとした朝は上出来だった。
今日はHIV陽性者フォローの日。
二人体制でパワーアップした鍼灸と、歯科治療がメイン。
内科部隊は必要な場合の対応と、明日への準備とする。
まず、内科的フィジカルチェックの後、歯科と鍼灸の希望へトリアージ。
歯科も歯科衛生士の濱村さんの適格なサポートのなかで大坪先生が頑張った。 イルファーケニアのフォローしているHIV陽性者はほぼ100%ART(抗HIV治療)をしているが、アドヒアランスも良好で元気な人が多い。それも現地での地道な指導と教育のたまものだと思う。
そんななかで歯科や鍼灸への治療希望者は多い。
今回、受診したのは、30名(歯科10名、鍼灸20名)。
鍼灸師(原田、石島)が二人で効率よく治療をこなしていた。
歯科も歯科衛生士の濱村さんの適格なサポートのなかで大坪先生が頑張った。
昨年からの日本の歯科治療を見事に継続し、さらなる高みが見えた一日だった。
内科小児科は、試運転。でも、さすがみんなプロ集団。余計なことを言うまでもなく、適格な診療を終えていた。

大坪先生の56歳の誕生日今夜はアパートで最初の自炊。
小田、高橋、宮城島組は、もちチーズピザ、十勝豚丼風味焼肉、クラムチャウダーを提供。安全のために外食は控える方針の今年、初日の晩餐は成功だった。と、同時に、大坪先生の56歳の誕生日をサプライズケーキで祝う。
ケニアのチョコレートケーキはとてつもなく甘かったが、このイベントでキャンプ軍団は一枚板になった。
さあ、明日から本番。堀越先生のトランクも無事戻った。
心と体の準備は出来た。

薬より飯をくれ(9月15日)
現地についたら、外は長蛇の列。一般外来の初日。
昨日のうちに、会場のレイアウトは行っていたので、到着後まずは薬局の立ち上げを全員で行う。昨年の投薬実績をもとに、今年は抗真菌剤軟膏、抗生剤軟膏、点眼薬などの外用薬を多く持参した。それがきれいにレイアウトされ出番を待っている。
医師ブースは、アダルトは宮城島・小田と浅川・村上の2ブース。小児は堀越・安藤でスタート。歯科は昨日のHIV診療でベストコンビとなった大坪・濱村組。薬局は青山・高橋コンビ。そしてラボは稲田先生をはじめ今年初参加の検査技師デニスとチャイルドドクターで働いている三木さんが加わってくれた。
いつものことながら、現地についたら、外は長蛇の列。すでに日差しの強いなかで辛抱強くクリニックが開くのを待っている。
9時半過ぎに入口が解放され、なし崩し的に診療が開始した。
私たちのブースの通訳。私たちのブースの通訳は、プムワニでゲームセンターを経営しているという自称ビジネスマンのジョシュアとビジネススクールへ行くことを夢見ている若い女性のベリル。有料ボランティアとはいえ、一生懸命通訳を務める姿に頭が下がる。

少し患者がはけたな、と思ったらもう2時を過ぎていた。やっとランチと思いきや薬局は火の車状態。薬剤のプロとはいえ、二人で処方箋をさばくのはかなり大変だ。手の空いたドクターが代わる代わる処方を手伝う。それで処理した処方箋は330を超えた!

20代の若い男が外来を訪れた。ストリートチルドレン上がりのホームレスであることは一見してわかる。アクシデントで右腕を骨折、とりあえず病院でオペをされたが、金がないので短期で退所させられた。皮膚の二次感染を起こしているが、病院に行ってもなしのつぶてだと涙を流して言う。保存的で治癒するだろうと判断し、経口抗生剤と軟膏を処方。
しかし彼はこう言った。
薬より飯をくれ。
お腹がすいて死にそうだ。薬だけもらっても食べないと死んじゃう。
返す言葉がなかった。無力だった。
リュックに忍ばせていたカロリーメイトを差し出すのが精一杯だった。

最新秘密兵器登場(9月16日)
明け方に雨が降っていたようだ。短い雨季にさしかかるケニアのよくある風景。少々肌寒い。 外来診療二日目。
最新秘密兵器登場内科では、ついにベールに包まれていた超音波診断装置が始動した。
スマートフォンサイズでも、心臓、腹部の大体なところは描出可能、しかもドップラー付きという優れもの。
胆石や尿管結石を疑うような腹痛を訴える患者には、福音となろう。
ただ、診断したところでどこまで治療の恩恵を受けることが出来るかは別問題であり、そこがすこし悲しい。治療が必要と判断したら、紹介状を書いて、ケニアッタ病院へ行ってもらうことにしているが、そこで門前払いということもあるに違いない。
しかし実際に使ってみて、腹痛の患者の疾患ルールアウトに本領を発揮した。
胆石でないこと、閉塞性黄疸でないこと、水腎症がないこと、腹水がないことなどをある程度確認できれば、対症療法でもかなり安心して対応できる。
腹がはって時々腫瘤が飛び出るという女性がいた。なにか見つからないかとエコーをして驚いた。胎児の頭が描出されたのだ。この使い方は想定外だったが、ここではなんでもありなのだと改めて思う。

えいままよ今日の第一号の患者さんは、右下腿に一部壊死した皮膚潰瘍。筋膜にまで達しているほど深く周囲の皮膚は石のように硬化している。交通事故で負った傷だとのことだが、いつまでほっておくのだろう。さっそく外に出て洗浄とデブリードメンドをするも神経がマヒしているようで痛みを感じない。えいままよとはさみで不良肉芽を切り落とし抗生剤軟膏を厚く塗布して包交した。
外来も慣れて中盤に差し掛かったころ、乳房の腫瘤を主訴に受診した18歳の女性。気が付いていたが一年以上ほおっていたらしい。間違いなく乳がん。この年で。
驚く暇もなくケニアッタ病院へ紹介状を書いて渡した。
お金がないとしても、一度はちゃんと診て欲しいと祈りながら。

二日目はどのブースも軌道に乗ってきたようだ。
歯科はポータブルレントゲン装置を駆使して、息の合った二人が黙々と抜歯を敢行している。濱村歯科衛生士による歯周囲病の治療も始まった。
鍼灸も乗りに乗って次々と鍼と灸をこなしている。

発熱患者は時々来るけど、エボラなんていない。

1000人突破(9月17日)
爽やかな鳥のさえずりはきっかり5時半に始まる。
どんな姿なのか見たいのだが、まだ外は暗い。
リノベーションしたアパートは居住空間としては、快適だ。しかしそのため家賃が跳ね上がったのが問題。もう一つの問題は、バスタブがなくなって、シャワーブースのみになったこと。日本人としては非常に残念だ。帰国してゆっくりバスタブにつかることを楽しみに朝シャンで頑張ってる。

五十嵐マキさんが薬剤部の助っ人として参戦一般外来三日目。
学校訪問が明日に流れたので、普通のそして最も脂の乗った一日となる。

五十嵐マキさんが薬剤部の助っ人として参戦し、歯科も21人の抜歯を敢行、鍼灸も二人が争ったかのように33人ずつ、計66人を治療した。
小児科も堀越先生という専門医、しかも途上国での治療経験の豊富な医師の存在により、的確な診療治療が行われ、私のようななんちゃって医師は実に参考になる。
終わってみれば三日間の最終登録患者数は1007人。HIV検査は101人でそのうち4人が陽性と出た。

鍼灸も二人が争ったかのように33人ずつ、計66人を治療した。月曜日(一般外来初日)に、District Medical Officer of Health(DMOH)のスタッフがキャンプを視察に来て、我々の診療活動や使用薬剤、使用検査キットのチェックをしていったが、今日もDMOHのラボテクノロジストの女性ボスが視察に現れて、歯科レントゲン診断装置やポータブルエコー診断機器の運用状況に感心しきり。最後には自分の腹を出してエコー検査を受けて行った。
いつもDMOHにクリニカルオフィサーやテクニシャンの派遣を依頼しても、なしのつぶてたったものが、この変わりようはどうしたのだろう。
地道なHIV患者のフォーロー活動が、当該地区の病院に認知されてくると、DMOHも無視するわけにはいかなくなったのだろうか。言い換えれば、我々の活動のパワーが行政の重い腰を上げさせたと言うことか。
これをきっかけに協働の道が開かれることを期待する。

サバイバルスクールという学校(9月18日)
大坪、原田、石島の歯科鍼灸班こちらへ来てから外食はまだ一度だけ。人の集まりやすい場所を避けて、ゆっくりと自炊をしながら、タスカーを飲む。これが最も安全で最も安らぐ方法かもしれない。グループを部屋割りに従って4班に分け、回り持ちの食事当番制としているが、これがまた面白い。そしておいしいのだ。昨夜は大坪、原田、石島の歯科鍼灸班。原田シェフが中心となり、麺料理や中華料理がサーブされた。

朝はラジオ体操から始まる。小田先生がタブレットに入れてきたラジオ体操をかけながら、6時半にみんなで(といっても我々の部屋の三人)ラジオ体操をする。なんとなく滑稽な体操風景。しかし昭和の趣は、ケニア・プムワニに通ずる気がする。朝はラジオ体操から始まる

今日は一般外来4日目。
午後は学校訪問があるので、朝から全開で外来をこなす。

そして二時、炎天下の中をプムワニサバイバルスクールまで徒歩。暑い、とにかく暑い。
その太陽の真下で、子供たちは整列して待っていた。
彼らの前で、ノート、ボールペン、色鉛筆、本、サッカーボール、バレーボールなどが並べられる。
ドネーションの儀式の後、稲田先生の挨拶。みんな稲田先生が来るのを心待ちにしているのだ。
15年間も同じ学校に文房具や運動具を自ら足を運んで贈り続けることは、そう簡単に出来ることではない。
稲田先生をたたえる歌と踊りを観ながら、改めて彼の偉大さを知った。
最後に学校長の挨拶があったが、これがまた素敵だった。
日本から来るには一日や二日かかる長い旅路だ。
太陽の真下で、子供たちは整列して待っていた。そんな長い時間をかけて、この医療者たちは私たちのところへ来てくれている。
そしてたくさんの贈り物を届けてくれる。
こんどは、君たちが人生という長い旅路を進む番だ。
一生懸命勉強して、一つ一つ階段を上がって、長い人生を進んでください。
まさに、サバイバルスクールという名前が示す通り、社会の底辺にいる子供たちへ贈る感動的な励ましだった。
これからもこの子たちと繋がっていたいと切に思った。

今日の外来は383人。3人のHIV陽性者がみつかった。

注記;プムワニサバイバルスクールは、エイズ孤児やその他の理由で経済的に公立学校へ通えない子供たちが通う私立の学校。企業のドネーションによって運営されている。

ケニアで広がる夢(9月19日)
モヨの松下照美さんが、スタッフ二人を連れて応援に駆け付けてくれた。昨日の診療時間内に、モヨの松下照美さんが、スタッフ二人を連れて応援に駆け付けてくれた。70も近いというのに相変わらず元気なお姿で安心した。スタッフは何か出来ることはないかと尋ね、薬局で少しお手伝いをしてくれたが、我々の忙しさに気を使ってか早々に帰られていった。日曜日を楽しみにお待ちしていますというメッセージを残して。
モヨホームも何年か前になたを持った強盗に襲撃され、負傷者が出た辛い過去がある。稲田先生の事件が起こった時に、心底安否気遣ってくれたのは松下さんだった。
起こるときは起こること。でも命が助かったのは、もう少し頑張れと天から言われていることだと前向きに考えるのは二人の共通したところだ。
この二人の強さ。考え方。それに感動している自分がいた。
今日は一般外来5日目。

ナイロビから西へ車で30分ほどのところにリムルという街がある。そこの代議士が出来た人で、住民の健康管理に一生懸命で、私設の保険省のような組織を作り、そこにHIVケアチームがあるようだ。そのチームの二人が本日視察に訪れた。
リムルでも我々のような医療キャンプをしたいとのこと。近い将来(来年にでも)リムルでの一日キャンプが実現するかもしれない。そのためには今回の滞在中に是非リムルを訪れてみたい。

歯科の予約が殺到しているが、さばききれない。大坪先生がへとへとになりながら抜歯に対応している。濱村歯科衛生士さんのサポートが何よりの救いだが、やはり歯科医二人体制は必須かもしれない。
子供たちに歯ブラシをプレゼント 小児科は堀越先生がコアにいるからこそ、我々も全員で小児科診療にあたることが出来る。
1歳以下は堀越先生にまかせて、それ以上の子供たちを診るのだが、たいがいは、咳と熱と鼻水と、時に下痢。それぞれのシロップの使い方とORSの処方をマスターすれば、おおかた間違わない。
まあ、中には結核やひどい栄養障害が混じっているが、それは専門医の御高診を仰げばいい。
診療が終わって、集まってくる子供たちに歯ブラシをプレゼントした。
抜歯をしなくてもいい歯を作ってもらうことを祈りながら。

ケニアで除菌(9月20日)
昨夜は、女性チーム当番による自炊。
あと半日を残すのみとなり、その達成感と解放感からか大宴会となった。
もちろん宴の中心にはタスカーとシンバもちろん宴の中心にはタスカーとシンバ。
そして稲田先生から参加者へのいきなプレゼント。一人ひとりにケニアTシャツと名前入りのブレスレットが渡された。

外来最終日。
びっくりしたことがあった。ケニアで除菌がされていた!
除菌とはH.pylori(ヘリコバクターピロリ;胃に生息する菌で、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の再発の原因、一部の胃癌や特殊なリンパ腫の原因とされる)の除菌のこと。
ある患者がESO KIT(蝦夷キット?)なる箱をもって受診した。
しかし3箱まで買えたが、お金がないのでそれでやめたと。それがESO KIT。
よく見ると、ひと箱のなかにPPI(esomeprazoleと書いてある)、アモキシシリン、クラリスロマイシンがセットになって一日分。つまりこれを7箱買って一週間飲むらしい。
日本では除菌セットはもちろんあるが、ひと箱に一週間分すべて入っている。基本は7日間きっちり飲まなくては除菌は成功しない。
というわけで、たった3日しか飲んでいないこの患者さんは、きっと除菌失敗になるばかりでなく、薬剤抵抗性のピロリを生み出すことになる。
ESO KITもう一人は、ESO KITを7箱全部飲んでも、胃の痛みが止まらないのはどうしたことだと受診に来た。たとえピロリを除菌出来たからといって、潰瘍がすぐに治るわけではないし、どうも勘違いしている。どちらの例も薬を飲む意味や十分な説明がないことによりおこる誤解と失敗。つまりアドヒアランスがうまく行っていない。
HIVの治療もまさにそこが大切で、ケニアの医療の未成熟さを垣間見た気がした。
そこに少しでも介入することが、現地でのHIVケアを目的としている我々の使命でもあると思う。
とうとうキャンプは終わった。
最終的に1920人の患者を診察治療し、190人のHIV検査で陽性者が11人(5.8%)。
ありがとう現地スタッフのみんな。とくにアリのマネージメントはかなり進歩していた。
See you next Septemberと気楽に挨拶している自分がいた。本当か?ああ、本当さ。

午後は現地のみんなと別れの挨拶を交わし、マサイマーケットでの恒例のお土産あさり。炎天下の中二時間、イルファー釧路のバザーなどを物色し、疲れが極限に来る。外来よりもタフな仕事だ。

今の気持ち?
心の底からほっとした。

モヨホーム再訪(9月21日)
昨夜はマキさんの家に招待され、とても楽しい時間をすごした。昨夜はマキさんの家に招待され、とても楽しい時間をすごした。9月13日にドバイ空港で初めて顔を合わせたばかりの12人だったが、もう10年来の知己の友のような、そして同志のような一体感が漂う。キャンプが終わったという解放感と安ど感がさらに拍車をかけ、おいしい手料理とワインとマキさんのホスピタリティの中で、私の心と体は確実に癒されて行くのを感じた。

第8日目
朝早くからサファリ組は出かけて行った。
残り組は遅い朝食をとり、それぞれが残務整理をしながらつかの間の休息をとった。ゆっくりメールをチェックし、本を読んだ。

ティカはナイロビから車で北東に1時間弱のところにある。ロバート(亡くなったドライバー・トムの息子でナイロビ大学の学生。今回も通訳ボランティアに来てくれていた)によると、ティカはパイナップルの大産地らしい。あの有名なデルモンテのジュース工場があり一面にプラントがあるとのこと。道端で売っているパイナップルは完熟でとても甘いらしい。
モヨホーム再訪 松下照美さんたちは、みんなで外にでて私たちを歓迎してくれた。
年に一回の訪問だが、心待ちにしてくれる子供がいる。
ストリートチルドレンや養育拒否された子供たちおよそ20人がスタッフと共に生活している。悪いことに手を染めた子供もたくさんいる。その子たちの生活の場と教育の場を提供して、更生して独立していく。いわば松下さんはみんなのお母さん。それを15年やっている。
子供たちの自己紹介。一人ひとり将来の夢を語る。ドライバー、ビジネスマン、ドクター、パイロット、デンティスト、ポリス、、、などなど。
特別なことを何もするわけではない。ただほんのちょっとのおもちゃとほんのわずかの交流なのだが、松下さんやその子供たちからインスパイアされる何かがある。だから毎年訪れる大切な場所。

原田君のドラムがうなったゴム風船やボールで子供たちと遊んでいる中で、原田君のドラムがうなった。
プロのドラムさばきに子供たちもうっとり。このキャンプで最もイキイキしているドラマー原田がいた。
恒例の集合写真はケニアキャンプの最後の思いでとしていつも心に刻まれる。
いつも彼らの夢が現実になることを祈っている。
頑張れ、モヨの子供たち。





リムルそして大使館(広がる夢にむかって)(9月22日)
リムルのPublic Health Center荷造りもそこそこに、朝いちばんでリムルに発つ。
ナイロビから西へ、一時間程車で行くとその町はあった。
あたり一面農園がひろがり、ところどころに羊やヤギの群れがある。
のどかな田園風景の中に、忽然と街が現れた感じだ。
ナイロビに比べてなんと緑豊かなそして静かな街だろう。

先日我々のキャンプを訪れたスタッフが、リムルのPublic Health Centerを案内してくれた。医者は常駐していないが、クリニカルオフィサー(看護師の資格だが処方などが出来る医療スタッフ)が中心に運営し、小児、産婦、HIV/結核などの治療にあたっている。
スタッフの意識も高く、ラボやVCTのシステムや薬局なども分かれていて基本的なことはしっかり出来ている印象だった。そんななかで我々のキャンプの位置づけをどうするか、多くのことが頭をよぎるが、基本的にはVCTと陽性者のフォローアップ、つまり原点に戻ったキャンプを目指すことになろう。

新しいキャンプの広がりが少し見えたような気がした。その後、ナイロビに戻って、かのリムルの代議士CHEGE(チェゲ)とホテルで会食。
テントを利用してリムルでの一日無料外来をすること提案された。彼は一日といわず、二日も三日もやってほしいと言っていたが、まずは我々のキャパシティと日本的治療の方法論によって決めることになるだろう。それはこれからの課題だが、新しいキャンプの広がりが少し見えたような気がした。
先に発つ関空組に別れを告げて、午後4時半からケニア大使館の大使と面談。
予想通り大使とは形式的な挨拶に終始したが、継続的に我々の活動を見守ってくれることを祈る。
むしろ大使館の担当職員はとても我々の活動に理解があり、献身的に対応してくれた。
さようなら、ケニア。こうして、最後の日もあわただしく終わった。しかし夢の広がる一日だった。
休む暇もなく、これから空港に向かう。
ケニアッタ空港午後10時50分発。
さようなら、ケニア。
ケニアのみんなに感謝。
そして日本からの同僚に感謝。
アサンテ・サーナ




エピローグ(雷水解・雷風恒は現実か)
いつもなら、頑張ってきてくださいと、エールを送られてケニアに出発するのだが、今年は、大丈夫?本当に行くの?無事に帰ってきてください?という声ばかりだった。
政情不安、テロ、強盗、そしてエボラ感染症。
そんなことを聞けば当然だろう。
そしてNPO法人理事会と現地との温度差。
不安はいっぱいあった。
もしものことは頭によぎり、結局学生ボランティアの募集を断ってまで、自己責任の持てる大人の医療集団で組織した。
今回は新しい事業を展開せず、従来のことを粛々とするようにと、理事会で求められもした。
それでも不安はあった。
この私が易占いまでしたほどだ(笑)。
でも、そんな事情のなかでも、12人の侍たちは、怖気づくこともなく、爽やかな顔でナイロビに降り立った。
そうして、すくなくともバイオレンスと感染の危険は杞憂に終わった。
キャンプを見守ってくれているすべてのみなさん、そして現地で最大限のパフォーマンスを発揮してくれた同志たちへ感謝。初日のHIV患者フォロー外来と二日目からの一般外来で1920人を超えるクライアントを診察治療し、歯科も一日平均15人前後の抜歯を施行した。190人のHIV抗体検査を施行し11人(5.8%)の陽性者を見つけ出し、フォローへ繋げた。HBVや梅毒の結果集計はまだだが、外的逆境のなかで、昨年に劣らない実績を上げることが出来た。
易の予言、雷水解(雷は行動、水は難儀、解は解放、雪解けとも。すなわち、行動することで問題から解放される。)は本当だった。
ただただ、運が良かっただけかもしれない。しかし運を近づけるために、やれることはやった。プムワニでも警察の介護を得た。有能なドライバーを確保した。いつも一糸乱れぬ集団行動を実践した。外食も最小限度にした。
参加者はやや窮屈だったかもしれないが、それでも楽しさを忘れず、専門への重責を忘れなかった。
これらの努力を怠らなければ、我々のキャンプの継続性は担保されると強く思った。

今年のメンバーは、かなり完成されたものだった。その専門性をいかんなく発揮し最大のパフォーマンスを演出した。募集の時期はやや遅かったが、モチベーションの高い人材が集まり、『逢う前からお友達作戦;メーリングリストでの頻繁な情報交換』により現地で真っ先になにをすべきかを共有出来たことが大きい。この作戦は今後も最大の情報ツールになる。
また、国際医療協力の経験者が多かったのも大きかった。過去の彼らの経験を今回のキャンプに移植し、また共に高めることが出来た。
そして、現地滞在の五十嵐マキさん(日本赤十字派遣)の強力なサポートは私たちにとって必要不可欠なものだった。何度彼女に、ロジスティックな面でも精神的にも助けられたであろう。いつまでも甘えてはいけないと思うが、女神は今年も私たちの前で健在だったのだ。
もちろん、強盗に遭いながらも、冷静さを失わずち密な計画を立て実行させた稲田先生の存在は言うまでもない。その超人的な行動には頭が下がるし、それゆえにNPO法人を中心とした日本からの強力なサポートが必要だと改めて認識した。
加えてそれらを現場できっちりと仕切ったアリ、ワンボゴの成長には目をみはるものがあった。特にアリの指導力は特筆に値するまでとなっていた。
現地HIV医療体制の構築の最終目標は、作られた体制の現地への確実な委譲、すなわち現地の人による現地のための活動である。彼らのような存在が育つのは最大の収穫でもあるのだ。

ではもう一つの予言、雷風恒(恒は常。恒常的な方針を急変せず、堅実に道を進めば、持続的な繁栄を得る。)はどうだろうか。
すくなくともイルファー釧路はいま、その通り動き始めた。
しかし、ケニアキャンプを今後維持していくためには、多くの視点から考えなくてはならない。
まず、NOP法人イルファーの活動のなかでのキャンプの位置づけの再考である。
現在のNPOイルファーの活動主眼は、ケニアでのHIV医療システムの構築におかれ、キャンプはその手段の一つに過ぎない。しかし現実には、HIV患者の現地でのフォローアップは、稲田先生と現地スタッフで継続的に精力的に行われているものの、年度年度ではっきりと数字で出てくるものではない。また費用比率でも、HIVケアよりも一回のキャンプのかかる費用は突出している。
今のキャンプは、HIVの拾い上げを含めた地域への診療サービスだけではなくなっていると思う。日本から派遣される医療者たちへ、国際協力の経験という場を与えることも大きな目的になっているし、そのようなキャンプを経験した人たちが帰国して多くの情報を発信することも大きなインパクトだ。またこのような医療キャンプで実際に邦人医療者が何を出来るのかを考え続けることで、医療のレベルも格段に進歩する。昨年から始まった歯科領域でのポータブルレントゲン装置、そして今年初めて使用した超小型のエコー診断装の導入はそれを物語る。これらは、日本の医療とプムワニでの医療格差に悩みながら、resource limitingの国で提供可能な医療を考える大切な場でもあることを示していることに他ならない。
つまりケニア医療キャンプは医療を展開する地元住民にも恩恵があるのみならず、参加者のキャリアにも恩恵がある一石二鳥の活動になる可能性を秘めているのだ。
そしてプムワニを拠点にしながらも、他の地域との連携をとって、キャンプの活動の幅を広げていくことが出来れば、さらにキャンプの存在価値が増していく。
最終日にナイロビから車で1時間弱のところにある農村、リムルを訪れた。そこの代議士チャグにフリーメディカルキャンプの開催を希望されているのだ。今年は安全の確保が出来ないという理由でNPO本部から自粛を要請されたが、来年こそは、新な一歩としてone-day campを成功させたい。このような蠢動もまた、キャンプの意義をさらに高めることになるはずだ。
すなわち、一つの提案だが、NPOイルファーは医療キャンプを、ケニアのある地域でのHIV医療体制の構築のための副次的なもの(手段)にするのではなく、それ自体に目的を持たせるべきで、地域でのHIV医療体制の構築と同等の目標として掲示してはどうだろう。そうすれば多くの学術的、社会学的サポートが得られやすいのではないかと思う。
これは、NPOイルファーの副理事という肩書(キャンプ専門)を持つ私の立場を意識した提案でもある。

次にキャンプへの派遣人員のこと。
現在のキャンプでは、歯科、小児科のニーズ割合が高い。原則的には小児科は内科でも担当可能だが、より専門性が必要とされるところはお手上げだ。歯科は今後も日本的な医療を展開するのなら、二人は必要だ。そして今年歯科衛生士が来てくれたように予防医学の介入も必要になる。そうして薬剤師の専門性もかなり大きいと理解している。鍼灸ももちろん今の継続を切らしてはいけない。そして可能ならば婦人科医の存在。内科はそれらの隙間を埋めることで成り立つ。

そう考えると、来年の最も基本的陣容は、歯科医2人、小児科医1人、鍼灸師1人、薬剤師1人、内科医4人、可能なら産婦人科医が必須であり、それ以外にナースやその他の医療職のボランティアを募ることとなる。
これらの陣容を来年春までには決定し、理事会の承認を得るようにしたい。

雷風恒(恒は常。恒常的な方針を急変せず、堅実に道を進めば、持続的な繁栄を得る。)の予言の実現はまだ先かもしれない。しかし、着実に芽は見えてきた。
現地とNPOとの連携を密にし、地域のHIV医療体制の構築とケニア医療キャンプを同等にとらえ、さらにキャンプに日本の医療人の経験的現場を提供する意義を加えることにより、車の両輪が回るがごとく雷風恒は現実のものとなると確信している。
これで私の総括は終わる。
キャンプを見守ってくれているすべてのみなさん、そして現地で最大限のパフォーマンスを発揮してくれた同志たちへ感謝。
そろそろ釧路へ帰るとするか。
羽田のスタバにて。