ケニアレポート(2013)

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

フリーメディカルキャンプ'13レポート / 宮城島拓人(内科医 イルファー釧路代表)

成田から発つ(9月13日)
いよいよケニアに出発する日が来た。私にとっては13回目。
イルファー釧路の壮行会で、『2013年、宮城島先生にとっての13回目のケニアが13日の金曜日にスタートします。』と、ブラックユーモア混じりにアナウンスされたが、何処に行こうが安全と危険は隣り合わせ。
中東はなんともきな臭いし、ナイロビのジョモケニアッタ空港は火事になるし(ただしテロではない模様、単なる失火と消火システムの整備不良)、13という数字の不吉さは暗示として慎重に任務を全うしてくるつもりである。
成田から発つ 今年は初めて成田発を利用。釧路→羽田、羽田成田はリムジンで到着。
エティハド航空も初体験。エミレーツと並びアラブ首長国連邦(UAE)の代表的航空会社のひとつらしい。
成田に集合したのは、計6人。たった6人!
昨年関空に集合したのは岩手医大学生6人を交えて18人だったのを考えると淋しい集団にもみえる。しかし、大人のプロ集団はなんとはなしに悠然と優雅にみえる。私も修学旅行の引率をしなくてもいい気楽さがある。
その面々、札幌から成田直行で来たのは佐藤歯科医と、薬局担当の占部くん。釧路からは鍼灸師の熊坂さん(女性)、内科医の石川さん(女性)、そして宮城島。最後にぎりぎりまで仕事して駆けつけてくれたのは東京からの薬剤師青山さん(女性)。
佐藤医師が千歳から送り出した歯科用ポータブルレントゲン装置。今年のキャンプを象徴するはずのマシーン。無事ケニア通関することを祈るだけだ。
あらかじめ陸送していたトランクの中身を再調整し、いよいよ出国の時を迎える。
同じ時間に関空からも出国の準備をしている仲間たちがいるはずだ。
ナイロビで、みなが一同に会することを夢見て機上の人となる。

アブダビでもまたビール(9月14日午前4時;現地時間)
定刻にアブダビについた。今回初めて使ったエティハド航空はエミレーツとほとんど変わらない。さすが産油国の優雅な航空会社だと感じたが、機内が寒かった。毛布を二枚つかってもひっきりなしに流れてくる冷たい風を防ぎきれない。それでもビールを飲んで我慢する。でも朝食時(といっても現地時間2時)にビールを頼んだら、なかった。朝はだめか〜
アブダビでもまたビール うたたねしているうちにアブダビに着いた。未明の3時だというのに30度には納得するが、空港はまたしっかり冷房が効いている。エコの概念はここにはないのか、と思っていたら、蛇口を締めて水を節約しようというキャンペーンが空港の壁に貼られていた。なるほど、化石燃料がたっぷりあっても水は別物だ。
寒い空港でやはり我慢してビール。4時からみんなで乾杯。
馬鹿の一つ覚えだが、これが旅だ。
5時間のトランジットのあと、いよいよケニアに旅立つ。
6人ともきわめて元気。
いまのところは。

テント村のような空港でみんなが出逢った(9月14日)
定刻に夏の太陽が降り注ぐジョモケニアッタ空港に着いた。
テント村のような空港でみんなが出逢った 先日の失火後早々に機能復活を果たしたようだが、いたるところにテントが張ってあって、到着ターミナルのゲートはほとんど機能していない。
タラップを降りて大地に降ろされ、バスでにわか作りの通関スペースへ移動。
入国者をさばくだけで精一杯のようで、くだらないチェックもなくスムーズに入国を果たした。肝いりのポータブルレントゲン装置もただのカメラと思ったのだろう、フリーパスだ。誰ひとりトランクを開けられることもなく拍子抜けに近い。
入国が火災前よりずっとスムーズだったのが皮肉にさえ思える。
およそ一時間後に関空ドバイ経由の三人(神戸の福地、蓮池両先生と札幌からの橋本先生)をピックアップしてついに全員がそろった。
ウエルカムパーテイー(総決起集会)。 稲田先生と二週間前から先発隊として活躍している四倉君、アリとワンボゴ、そして新しい運転手のアブドラに迎えられ、ナイロビでの生活が始まった。
夜は恒例のブールバードホテルのレストランでのウエルカムパーテイー(総決起集会)。
もちろんオールジャパンだ。
稲田先生の挨拶のあと、明日からの分担任務の確認をする。そして乾杯。
一年ぶりの私をもっとも歓迎してくれたのは、いや私が最も会いたかったのは、黄色いラベルの「タスカー」だったのかもしれない。
明日は、HIV陽性者のフォローアップだ。
長い一日が終わった。今夜は泥のように眠るはずだ。

デビューそして塩尻さん(9月15日)
キャンプの初日はHIV陽性者フォローアップ。
稲田先生がナイロビに住むようになってから、通年で専門的な陽性者のフォローが出来るようになってから、9月のキャンプであえて陽性者を集めてやることもないだろうと思っていたが、今回は陽性者の歯科と鍼灸をメインとして企画した。佐藤先生いよいよデビュー。陽性者には歯科も鍼灸もとても人気があると同時にどちらも必要なケアでもある。
佐藤先生いよいよデビュー。
ARTでコントロールされている女性の歯科治療が記念すべき第一号だった。
ポータブルレントゲンはカリエスで真っ黒になった病歯と鮮明な歯根の状況を映し出した。
歯周囲病がなく、本来抜歯の必要性はないかもしれないとの診断であったが、従来のNY式抜歯に引きずられて、果敢に抜歯に挑戦。
かなり困難な病根であり、抜歯にはかなり苦労していたが、そこにあったのはまた一つ進化したケニアキャンプの姿だった。本来抜かなくてもいい歯、ぬかざるを得ない歯を客観的に選択できるアイテムを手に入れ、プムワニでの歯科治療は大きく変わるだろうと思ったし、実際に治療にあたった佐藤先生も日本式診断治療を導入する決意を持ったと理解した。

素敵な出逢い そして今日、素敵な出逢いがあった。
ケニアのエンブという街に住んで23年。病院、小学校、技術学校を経営し地域に根ざした活動を継続している北海道出身の塩尻さんがスタッフとともにキャンプを訪ねて来てくれた。
地域でHIVの検査などの啓発運動も積極的に行っており、我々のHIV診療ケアの方法論を見聞する目的もあったらしい。
実はこの方、昨年北海道新聞で、ケニアで長年にわたって医療教育に携わっている邦人として紹介されことがあり、それを私がたまたま読んで、その素晴らしい活動に感動し、新聞のコピーを稲田先生に送ったことがあった。
モヨホームの松下さんといい、この塩尻さんといい、ケニアの大地に根をはって、継続的な支援活動をしている邦人たちとの連携は絶対強い絆になる。そう信じていたからであったが、稲田先生も自ら塩尻夫婦を訪問し横の糸を繋いでいてくれた。
60を過ぎた女性であったが、若々しさと物腰の柔らかさそして意思の強さに加え澄んだ目がとても印象深く思った。
今日の診療一日目は初登場の歯科医と塩尻さん。二人の邦人が新しい風を運んでくれたように感じた。

トムに見守られて(9月16日)
昨日のHIV陽性者診療にあてたまったりとした時間は、始めての人たちにとって診療のノウハウを実体験するのに有効だった。歯科も鍼灸もそして内科も。薬剤のリストと現物を見比べたり、診療パターンの再確認をしたり、そしてソシアルホールで行われる今日からの診療のためのロジスティックを搬入したり。
トムの息子、ロバート 夜は一つ部屋に集まり、食事をしながら、ひとりひとり自己紹介をして、お互いのキャンプにかける思いを共有し合った。
そして、今日を迎えた。
江尻さんのところで働いている二人の看護師さん(柳瀬さんと林さん)のサポートも加わり、稲田司令塔以下、内科医5人、歯科医1人、鍼灸1人、薬剤師2人、看護師2人、そして学生1人、計13人のプロ集団だ。
そしてワンボゴ、アリのスタッフと、多くの現地ボランティアが加わる。
今年亡くなったドライバーのトムの遺影を診察ブースのシーツに取り付けていた時だった。突然ワンボゴが一人の青年を連れてきた。
彼の名はロバート、トムの息子だ。
ロバート!
エンジニアを目指すナイロビ大学の一年生。スラムからナイロビ大学に入るのは至難の業。いつもトムにとって自慢の息子だった。その、ロバートが今目の前にいる。
父親の後を追うように、今年からキャンプの通訳ボランティアとして参加してくれたのだった。思わず涙が流れそうになるのをじっとこらえて、お悔やみを述べようとするも、とっさの英語が出てこない。ただ無言で抱き合うだけだった。

ロバートが通訳。 初日の準備はいつもの通りで、始まったのは10時半を過ぎた時だった。もちろん私(と石川先生)はロバートの通訳。笑い方が父親そっくりだ。
途中、モヨホームの松下さんがスタッフを連れて陣中見舞に来てくれた。昨日の塩尻さんといい我々の医療キャンプが多くの人に認知され応援されている。そしてトムにも。
かれの遺影をみながらそう思った。
ほぼ半日の診療だったが、およそ200人が受診した。鍼灸も約20人、歯科も約20人。
HIVなどの感染検査は26件。
上々の滑り出しだ。

寒い朝で始まり土砂降りで終わった日(9月17日)
外には診察待ちの長い列が寒い朝だった。どんよりとした厚い雲が街を覆う。
開院の準備も長袖がないとやっていられない。
未明からの下痢症状でやや憔悴ぎみであるのが、さらに寒さに応えるのかもしれない。
それにホールには電灯がないので、太陽の光がないと著しく暗くなる。
にもかかわらず外には診察待ちの長い列がすでにある。

予定数の通訳がそろわず、受付も相変わらずの律速段階にあったが、天窓と隙間から入り込んでくる光を頼りに診療を開始する。
受付のもたつきに痺れをきたしたのか、稲田先生自ら、受付の済んだ患者をブースにエスコートし始めるありさま。
10時ころになって通訳たちもポレポレと集まってきて、一気に診療は佳境にはいる。
抜歯される子供たちの叫び声が響く。
お灸の匂いが時々鼻をかすめる。
いいぞいいぞ、いつものクリニックだ。

在ケニア日本国大使館の宮村参事官 そんなころ在ケニア日本国大使館の宮村参事官がお供を引き連れて見学に来た。
稲田先生の説明に各ブースを回っていたようだが、気が付いたら帰られていた。
忙しくてほんの挨拶しかできなかったが、政府関係者が我々の活動に関心をもってくれる意義は大きい。
それにしても毎日毎日、訪問者が絶えないキャンプになりそうだ。
しかし、クリニカルオフィサーは今日も来なかった。

昼食を抜いて、ポカリスエットをいただいて、午後には体調が改善傾向になった。とどめの鍼を打ってもらい復活!鍼の力はすごいと実感する。
帰り道、交通渋滞に見舞われるうちにスコールのようなひどい雨が降ってきた。
波乱万丈の一日はこうして過ぎた。

外科医石川、誕生(9月18日)
釧路では信じられないことだが、9時間死んだように寝た。しかも一滴もアルコールを飲まずに。気が付いたらびっしょりと汗をかいていた。そのおかげか、体からすべての毒気が抜けたようにすっきりしている。ポレポレ(のんびり)からハラカハラカ(スワヒリ語で早くという意味)へ一気にシフトアップ漫画の世界のようだが、再生とはこんな状態を言うのかもしれない。
さあ三日目。

今日はケニアの女神、五十嵐マキさんが応援に来てくれた。
これで受付が2ルートになり、彼女の適切なトリアージで、受付が早い早い。
どんどん患者が回ってくる。通訳も朝から集合、ムサをはじめ患者のエスコート役も大活躍。
ポレポレ(のんびり)からハラカハラカ(スワヒリ語で早くという意味)へ一気にシフトアップした感じだ。

外科医石川 強盗に襲われて、耳が半分ちぎれた若者が来た。ここぞとばかりに石川先生の出番。
目を輝かして生き生きとちぎれた耳を縫合していた。これからは外傷担当にしよう。
結局クリニカルオフィサーは来ず、あふれかえる小児科外来の補充を当てにできないので、どこのブースでも診られるように変更。私も久しぶりに小児に聴診器を当てることになる。
多くは上気道炎と熱と下痢と寄生虫と皮膚真菌症。ただし時々ひどい肺炎やよくわからないが重篤そうなものもあるので注意が必要だ。
黙々と机に向かい、患者の切れるころには、机のノートの文字が見えないくらいにあたりは暗くなっていた。
昨日の患者は350人。
今日は未集計なるも400は優に超えている。
鍼も今日46人。頑張ったね、熊坂さん。

新しい歯科治療の模索(9月19日)
今日も雨だ。10年以上も関わっていて、毎日雨が降るのは初めてだ。雨季が一足早く来た感じで、もしかしたらケニアも異常気象なのだろうか。
プムワニサバイバルスクール 交通渋滞はそれほどでなく、思ったより早くに会場に着いた。
昨日の帰りがけ、「明日はもっと早く準備するから待っていろ。」と言ったワンボゴの言葉通りにすべてが揃っている。
もちろん患者の列も揃っている。
やれば出来るといつも思う。彼らの能力。
不思議な人々だが愛らしい。

午前中を黙々とこなし、午後は恒例のプムワニサバイバルスクールへ。
サッカーボール、メモ帳、ノート、ボールペン等々、日本のサポーターからの心のこもった贈り物と、イルファーからの学習帳。子供たちが稲田先生に捧げる感謝の歌を歌う。
いつもの変わらぬセレモニーだが、外来の喧騒の合間にふっと心のなごむひと時だ。

佐藤先生の孤独な苦闘は称賛に値する。 歯科も毎日ほぼ20人。
鍼もコンスタントに30を超えている。

しかし、歯科は苦労していた。
抜歯だけが治療と割りきるNY方式に慣れきった地元の人たちは、やはり歯が痛いと抜歯を求めるのだが、日本ではそうはいかない。レントゲンによる詳細なアセスメントが欠かせないし、ぬくべき歯抜かざる歯の判断も厳しいはずだ。そのギャップを少しでも埋めようと必死に抜歯と取り組む佐藤先生の孤独な苦闘は称賛に値する。
日本の歯科治療の第一歩は、彼の苦悩とともに、確実に次に受け継がれ進化してくことだろう。
彼が新しい歴史を作る。今日そう思った。

薬局はコンダクター(9月20日)
昨年は鬼気迫っていたが今年は楽ですとつぶやく占部二年続けて薬局を担当する占部さんは、今年は楽ですとつぶやく。
毎日350件以上の処方に追われているのに。
おそらく占部君自身昨年の経験によるノウハウを生かし、詳細な薬剤リストの作成や、約束処方の確立などに着手したことが、薬局運営をスムーズにさせている一つの要因だろうが、それだけではない。
専門家集団のチームワークだ。
占部指揮官を中心に、青山さん(薬剤師)の専門知識とJAICAなどでの医療経験の豊富なスキル、柳瀬さん、林(ナース)の流暢なスワヒリ語、そして、四倉君(上智大4年)のフットワーク。これらが一つになった。
先生、ペインキラーはまず、これからお願いします。○○はもうすぐ切れますから、この薬に変更してください。
子供ですから、この量で。
抗生剤入り軟膏が必要ですから、オーダーしました。
薬剤の疑義照会だけではなく、我々の処方の方向性を先取りしてオーガナイズしてくれる。
木藤先生 薬剤も決して潤沢ではない。少ない資源をいかに有効に患者に還元するか。たとえ刹那的な処方でもその期間の患者の生きる幸せを少しでも手助けするために頑張っている。
外来は医師が主導ではない。
まさに薬局がコンダクターだ。

今日は、木藤先生がキャンプを訪問された。滋賀医大の血液の先生で、毎年フィールドワークとして学生を連れてケニアの医療機関を訪れている。今回、キャンプチームの一員として参加予定であったが、スケジュールの都合でやむなくキャンセルされたのだ。それでもこうやってキャンプを訪れてくれた。今後ケニアで展開している日本赤十字と連携して学生を研修させることを計画し五十嵐さんと話し合っているらしい。
ケニアでの繋がりがまた一つ出来た。

三度目の自炊は神戸チームが担当、見かねて女性群が手伝っている。 今日が一番患者を診た日。400人越えはもちろん、私自身も今回二度目の百人切り(109人)(笑)。
確かに疲れたが、こうして朝から晩まで外来をぶっ通しでやっても、釧路の半日の外来のほうが辛いかもしれないとふと思った。
今夜もひどいスコール。埃と疲れは簡単に洗い流された。
三度目の自炊は神戸チームが担当、見かねて女性群が手伝っている。
何が出来るか、ビールを飲んで楽しみに待つ。
明日半日でキャンプは終わる。

終了御礼(9月21日)
最終を飾るのは半日の一般外来。
昨年までは、キャンプの前後はHIV陽性者のフォローアップ外来であったが、地元での稲田先生たちスタッフによる定期的な診察活動が軌道に乗ってきたので、あえてわれわれがセレモニー的にする必要はないだろうとの考えで、可能な限りの一般外来(ニーズが多い)をすることになった。これは今年に限ったシフトで、今後歯科診療などが充実するにつれて、HIV陽性者の本来の専門的介入がふたたび復活することになろう。
兎に角、今日は最後の一般外来。昨日までの孤軍奮闘の歯科は休診とした。
みんなの協力がなくてはなんにも出来なかった。ありがとう。 朝から長い列が出来ていたが、昼までというスタッフのうまいエスコートにより順調にこなすことが出来た。
終わった〜ブースから出てくるみなみなには解放感が満ち溢れていた。
私の診療ブースで適切に通訳をしてくれた、ロバート、ビビアン、ヘンリー、そして今日のオマール。みんなの協力がなくてはなんにも出来なかった。ありがとう。
午後はお決まりのマサイマーケットへ。しかしいつもながらの当然の渋滞。
道路は出来ているのに、毎年渋滞がひどくなるのはなぜだろう。
交通道徳と法規が国民に浸透するまえに、車が移入され、無計画な?道路が突貫工事的にどんどん作られてしまったのが根本的な原因だろう。ここ数年さらに車とバイクが増えているらしい。しかも日本車ばかりだ。根が深い問題だが、この渋滞が解決されない限りケニアの経済のロスはとてつもなく大きいと感じる。
マサイマーケットでは、イルファー釧路のバザー用品の獲得に明け暮れた。
いつもみなさんの声援を感じていました。ありがとうございます。 今回は二人の女性の感性だけで仕入れたので、乞うご期待。私の提案はことごとく却下された。
心配なことが起こっている。ナイロビの高級住宅街のショッピングアーケードで強盗?テロ?が起こっているらしい。人質がとられ何人かが、射殺されたようだ。
ここから車で20分程度のところ。ヘリコプターが飛び交っているのが聞こえる。
なんでもありのケニアだ。
我々は安全でのんきにシャワーを浴びている。
とにかくミッションは終了した。

いつもみなさんの声援を感じていました。ありがとうございます。

トムの墓参りそしてモヨホーム(9月22日)
昨日のテロはまだ終焉していない。ライブニュースでは59人が死亡し175人が負傷したと報告している。アルシャバーブが犯行声明を出したようだ。1998年の在ケニアアメリカ大使館爆破事件以来の最悪な惨事だと報じている。
私たちはキャンプが終了し、幸い無事にある。
しかし、マキさんの知人も事件に巻き込まれ死亡したとの訃報が届いた。
運不運、幸不幸は本当に紙一重でしかない現実がここにある。
死亡したかたのご冥福を心よりお祈りする。
トム、久しぶりだね。そしてさようなら。 ケニア初めて組は、朝早く近くのナイロビ国立公園のサファリに出かけた(もちろん十分安全を確保したうえでのこと)ので、留守組はプムワニにあるトムの墓参りに。
息子のロバートと合流して昨日までキャンプをしていた場所から車で5分弱。
そこにトムは眠っていた。緑色に塗られたコンクリートの墓標に誕生年と没年のみが記載されている簡素なものだ。周囲の境界はそのあたりに転がっている石を並べただけのもの。イスラムの風習では墓をあまり飾らないらしい。再生するための一時的な場所と考えるからだと言う。
トム、久しぶりだね。そしてさようなら。トムのおかげでロバートという立派な青年と知り合うことが出来たよ。

午後はサファリ組と合流して、昨年と同様、モヨホーム訪問へ。
十数人の子供たちとスタッフが笑顔で迎えてくれた。
モヨホーム訪問へ。 ストリートチルドレン、養育放棄された子供たちが、松下さんの暖かな心に包まれて幸せに暮らす場所、モヨホーム。彼らの笑顔に触れて来てよかったと実感する。
ミニカーのおもちゃ、野球のグローブとボール、シャボン玉、折り紙、ノート、ボールペンなどなど、日本全国の人々からの贈り物を無事届けることが出来た。
あまり野球を知らない子供たちにキャッチボールの実演をしたり、シャボン玉を飛ばしたり、折り紙を折ったり、それぞれが子供たちとの時間を共有していた。
外傷(ポリスが撃ったのだという!)により半身不随になった子供が18歳になっていた。
車いすに乗れるようになったが、それゆえか褥瘡が完治しないと相談を受ける。
神戸組とイルファーで日本式治療法を引き受けることになったが、この子には出来ることを何でもしてあげたいという松下さんの熱い思いが伝わってきた。

終わった。 後はテロの終焉と無事の出国を祈るだけだ。

総括(9月25日)
1、三つの管理(健康・血液暴露・危機)
占部氏、福地氏以外(稲田先生も!)みな下痢に見舞われたケニアの空港を定刻に飛び立ち、アブダビのトランジット時間はわずか50分という短さを潜り抜け、成田に着いた。ここで、札幌組の占部、佐藤両氏と、東京の青山さんと固い握手をして別れた。この飛行時間、私はほとんど食事を口にすることが出来ず、昨夜から続いている水様下痢と格闘していた。それでも羽田でやっとかけうどんを口にすることが出来たが。
今まで元気だった熊坂さんも機内で下痢を発症。これで占部氏、福地氏以外(稲田先生も!)みな下痢に見舞われたことになる。
ケニアに行った早々に、下痢と発熱を発症した私であったが、一晩熟睡して再生したとまで豪語したわけだが帰る直前になってまた下痢。今回の下痢は発症者が多いことから、なんらかの食事や飲み物が災いした旅行者下痢症と考えられる。福地先生には、コメのとぎ汁様の下痢じゃないですか?と暗にコレラを示唆するような脅し?にあったが、食べないで水分を十分補給するしかない。
それにしても、今年の下痢といい、昨年のひどい咳発作といい、歳には勝てなくなってきているのだろうか?それともケニアを甘く見始めてきたのかもしれない。
歳には勝てなくなってきているのだろうか? これからは一層自分たちの体調を管理しながら任務を遂行していく必要がある。
管理ということでもう一つ言うと、これだけHIV陽性者の診療、とくに観血的処置が増えてくると、血液暴露事故が起こった場合の予防投薬の管理もきちんとしていかなくてはならないだろう。来年への課題と考える。
また、今回アルシャバーブによるたいへんなテロが勃発した。幸い、キャンプは終了していたし、私たちが行くようなところ(高級施設)ではなかったので、遭遇することはなかったが、それよりスーパーマーケットが軒並み閉店したり、市民生活にいくばくかの影響を及ぼした。このような危機はいつ起こるかは想定出来ないが、これらに対する危機管理もしっかりしておく必要を感じた。

2、人員の確保
さて、今年のキャンプを俯瞰してみる。
ほぼ固定の釧路組に、神戸組がコアとなった。そうしてNPO法人イルファーの全国公募から青山さん、橋本先生、四倉くんが参加を表明した。そして現地で活躍する邦人の参加(林さん柳瀬さん)、もちろん五十嵐さんの参加。
こうして医療専門家集団が揃った。
これからもこのような布陣になるだろうが、神戸大学の感染症内科も毎年人員を派遣してくれそうな印象だし、これからも陽性者フォローアップには歯科診療は欠かせないし、鍼灸のニーズも高い。釧路の杏園堂も次の人選もすでに決まっているという。
釧路労災病院も特別休暇として派遣に協力的であり、毎年メンツは違えどもおなじ方向性とソウル(魂)もった人たちが集まるわけであるから、初めて逢った仲間であってもただちに連携が出来るのはありがたい。本来はここに山本先生を中心とする名古屋組が加わる。このようにそれぞれの組織集団がケニアに行くことを一つの年間行事としてとらえ、組織内で先達の経験を共有することで次に繋げることが、このキャンプの継続性と安定性を担保することになるのではないかと思う。また今回の青山さん、橋本先生、四倉君などがホームページを見て参加したように、山下理事長が中心となって管理しているホームページも人員確保のツールとして大きい。今後は定期的な派遣組織の構築とHP利用が適切そして安定的な人員確保につながるものと期待される。あとは資金の確保につきる。

3、日本人による歯科治療
今回の目玉は、日本歯科医師の参加であった。
ただしNY方式と日本式では抜歯の仕方一つをとっても考えかたが違う。
レントゲンを診ないで抜歯をするということをしない日本式が、しかも日本人とは歯の構造からして違う(そうとう根が長いらしい)ケニア人にどのように対処できるか。それに果敢に挑んでくれたのが、佐藤先生であった。北海道歯科HIVの会合の時に北大歯学部の北川教授に派遣の依頼をして、実現したのだ。
その時救いの手を差し伸べてくれたのが、アールエフ社のポータブル歯科用レントゲン照射機だった。この機器のおかげで、抜歯前の確認が可能となり、抜歯の判定に威力を発揮した。しかし、従来の痛い歯は抜くという長年の風習に慣れてしまった地域住民は絶えず抜歯を求めてくる。これには佐藤先生も苦労したであろうし、処置器具も十分でなかったことが一層ストレスになったことは間違いない。日本人初の彼の経験が次の世代に伝達され、さらに改良され充足されていくことを期待するし、もう一回来てみたいという彼のリベンジ精神を大切にしたいと思う。

4、邦人たちの横の連携
キャンプ中に多くの邦人が訪れた。
エンブで医療施設、学校を経営している塩尻さん、チカで不幸な境遇の子供たちを育てているモヨホームの松下さん、日本大使館の人々、滋賀医大の木藤先生などなど。
稲田プロジェクトの知名度が上がったこともあるだろうが、同じ場所で活躍する邦人たちの横の連携がいかに大切であるかを物語っている。これらの事業は一人では出来ない。多くの知恵と経験を共有することも大切で、これらの横の繋がりはそれをさらに進めてくれるだろう。事実今回は、エンブに滞在している看護師さん二人がキャンプ期間中ずっと働いてくれた。また、モヨホームを慰問することで子供たちの心と触れ合うことが出来た。
五十嵐マキさんの存在の大きさは言うに及ばずだが、忙しい任務の合間を縫っていつも関わってくれるのは感謝としか言いようがない。ケニアと日本の医療を熟知している人の存在は極めて大きい。稲田先生の心の安定のためにも。

5、一般診療とHIV診療
今年は、初日一日だけ、HIV陽性者診療を行った。すでに、稲田先生たち現地スタッフでHIVフォローを毎日のように行っており、実績を上げているのだから、わたしたちの役割はどうなっていくのか。一般外来だけでもいいという極論にもなり得る。久しぶりに小児に聴診器を当てることにしかしケニアキャンプに参加する意義をHIVケアーと位置付けている組織もあるし、北海道大学からの歯科医派遣の主目的はHIV診療に他ならない。
歯科治療はHIV陽性者にとって極めて重要なのは事実であり、これからも陽性者フォローアップには歯科診療は欠かせないし、鍼灸のニーズも高い。
つまりHIVフォローアップは歯科と鍼灸を中心として展開し、内科は付随的に考えていけばいいのではないか。
初日(日曜日)と最終日(土曜日)はHIV陽性者の歯科、鍼灸治療プラス受診者の内科健診。二日目(月曜日)から金曜日までの五日間を一般診療として位置付けるのが良いと考える。

6、キャンプの流れ
一般外来初日は、通訳やエスコート役のスタッフが朝からそろわず、しかも受付の要領が悪くまさにポレポレの発進だったが、次の日からスムーズだった。これは人種的な問題なのかもしれないが、絶えず刺激していくことが必要なのだろうか。稲田先生の苦労がしのばれる。まあそんなもんだと考えることもお互いの理解に必要なのかもしれない。日本のしきたりを強行に要求することはそぐわないこともある。
各ブースの運営はとてもスムーズであり、さすが専門家集団だと思った。特に感染症専門医の神戸軍団の参加は、私のようななんちゃって感染臨床医にとって頼りになる存在だったし、海外活動の多彩な青山薬剤師の存在は、熱帯地域での薬剤使用に適切な助言を与えてくれた。
今回は、昨年に比べて医者の人数は少なく、現地のクリニカルオフィサーもいなかったが、パフォーマンスがほとんど変わらなかった(一日最大患者数432人)ことも、専門集団が適切に対処していた結果だと思われる。
HIVの検査(VCT)については、8割以上がやはりリピーターだったが、HIVのみならず、梅毒とHBV(B型肝炎)も一緒に調べられると話すと、検査を同意する人が増えた。それにしても、定期健診のように毎年(人によっては三か月!)HIV検査を受ける人が多いのには驚く。検査の前に予防であるべきなのだが、矛盾を感じながらVCTを勧めざるを得なかった。

7、交通渋滞
これにはただただ閉口するだけだ。初めて訪れた13年まえからだんだんと悪化しているとしか思えない。運転者のモラルの低さと道路インフラの無計画さ、ランアバウトだけでは処理しきれない車やバイクの数の驚異的な増加。私たちを快く派遣してくれた、草野院長はじめ釧路労災病院の職員のみなさまと家族に感謝いたします。いろんな原因があるのだろうが、アパートから診療場所まで行くのに1時間以上もかかる(10年まえなら15分程度だった!)ストレスは並大抵ではなく、帰りの空港までもひどい渋滞に巻き込まれあわてる一幕もあった。まあこれは誰に言っても解決することではないが、そのような事実があることは知っていてもいいだろう。
以上が、第22回ケニアフリーメディカルキャンプに参加して感じたことである。

私たちを快く派遣してくれた、草野院長はじめ釧路労災病院の職員のみなさまと家族に感謝いたします。