ケニアレポート(2012)

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

ケニアメディカルキャンプ'12レポート / 松原 麻実(鍼灸師)

9月14日(金)
釧路労災病院前にイルファー釧路から4人(宮城島先生・澤田先生・看護師の山田さん・松原)が集合し、宮城島先生の車に乗せてもらい釧路空港へ。
9月の釧路には珍しいほどの暑さ。空港の温度計は28度だった。
釧路空港のレストランで食事をし、飛行機へ乗り込んだ。
新千歳空港到着後、薬品担当の占部さんも合流。これでイルファー釧路5人が全員そろった。
すぐに、関空へ向けて飛行機に乗り込む。
関空関空では、まず名古屋の山本先生と娘のセイラさん、京都の検査技師の荒賀さんと合流。
その後、岩手医大生6人と、神戸からの医師3人、看護師の河瀬さんが合流した。
これで、チームジャパン18名が全員そろい、いよいよ、出国となった!!
ドバイ到着後は、すぐに、空港の端で円になりミーティング開始。まずは、簡単な自己紹介をした。集合時間を確認し、それぞれ思い思いに過ごした。みんなを取りまとめる宮城島先生は、修学旅行の引率の先生のようだった。
関空→ドバイに比べると、ナイロビまでは、あっという間だった。
ついに、ケニアへ着くのか!!と、ドキドキで胸が高鳴った。
ナイロビ空港では、無事荷物を受け取ることができた。
空港を出ると、大きなケニア人がゲートの外にずらりと並んでおり、正直とても怖かった。
稲田先生が迎えに来てくれていたので、重たいトランクを押して、すぐに車へ向かう。
ナイロビの太陽は、昼過ぎだというのに、日差しがとても強く真夏のように暑かった。 なんとか荷物を積み込み、宿舎へ向かった。空港を出たところで、はるか遠くにキリンが見えた。これが、アフリカか〜と、異国に来たことを改めて実感した。
ケニアの交通量の多さと、ケニア人の運転の粗さには、この時も、この後もびっくりし続けた。
夜は、ウェルカムパーティ。初めて飲んだタスカーというビールが、とてもおいしかった。
次の日に備えて、この日は早めの就寝となった。

9月16日(日)
今日は、HIV陽性者フォローアップの日。
朝食は、すぐ近くのホテルまで歩いて向かう。パンケーキ・フレンチトースト・ソーセージ・チーズ・ポテト・フルーツなどなど!!想像よりはるかにおいしく、食べられるものばかりだった。朝食を済ませ、車に乗り込む。
大量のゴミ、ほこり、においプムワニ村までは、車で30分ほどで到着。この時の30分間の記憶は、決して忘れられないほどの衝撃だった。大量のゴミ、ほこり、におい、クラクション、そして、そのすぐそばにある人々の生活。写真だけではわからなかったが、これがケニアのスラムなのだと知った。
到着後は、すぐに準備が始まった。私も、Aqupuncture(鍼灸という意味)と書かれた箱から、必要なものを取り出しブースを完成させた。
入り口では、すでに患者さんが数名、椅子に座って並んでいた。
鍼灸ブースは、ゆっくりと初日が始まった。患者さんの数も多くなかったので、一人一人に自己紹介し、治療内容も丁寧に説明するよう心掛けた。普段、日本で鍼をしているとき以上に、刺鍼・抜鍼には十分注意を払って治療した。
今日のうちに、全体の治療の流れを身に着けようと思った。岩手医大の坂本さんが補助に入ってくれ、二人で電子辞書を片手に悪戦苦闘!!この日の経験が、後にとても役に立った。初日は、身体の違いに戸惑いながらも13人に鍼をした。
アパートに戻ってからは、すぐにシャワーを浴びて、そのまま、浴槽に水を張り洗濯。同じ部屋の山田さんは、海外旅行の経験があり、快適な過ごし方をいろいろと教えてくれた。
生活のために、洗濯物を手洗いしたのはこれが初めてだった。
夕飯を食べて部屋に戻ると、すぐにソファで寝てしまった。釧路組は宮城島先生以外、同じ部屋だった。何度も起こしてくれたらしいが、全く気付かなかった。日本では、感じたことがないほどの眠気だった。

9月17日(月)
今日から一般診療が始まった。
朝食を済ませて、プムワニ村へ。昨日とは違い、広いホールのような場所に、シーツで仕切りを作り、各ブースを作り上げていく。ここで5日間の診療が始まる。シーツで仕切りを作り、各ブースを作り上げていく。
力仕事は、やはり男性が大活躍だった。ありがたいことに、現地のボランティアと、医大生のおかげであっという間に完成した。
内科・小児科・検査室・薬局・鍼灸・カウンセリングルーム。すべてのセッティングが完成したのは、10時半頃だった。外には、ものすごい数の人々が列をなして並んでいた。
稲田先生がやってきて「Are you ready?」と聞かれた。元気に「YES!!」と答えて診療がスタートした!!この日は、17人の治療をした。
鍼灸ブースは、内科ブースの隣にある。時折聞こえてくる宮城島先生の「ハバリヤッコ〜」(ご機嫌いかが?とか、元気?という意味)の声や、患者さんとの笑い声に、心が和み、落ち着いて治療ができた。
患者さんの訴えは様々だが、全身痛がる方も少なくない。そんな時は、今1番つらいところはどこか聞いて、治療を進めるのだが、今日はこれで終わりと伝えても、まだここが痛いんだ!と言って帰らない。全体の治療もしているので大丈夫!!と言っても、ここにもっと鍼をしてくれという。この日は、そんなに忙しくなかったので、訴えの強い人には時間をかけて治療したが、日本では経験したことのないような要求の強さに、正直かなり圧倒されてしまった。治療は、ほとんどが痛いところに鍼をする局所治療。お灸も使用した。
空き時間に薬局を見たら、とても混みあっていて驚いた。占部さんと学生さんたちが、すごい勢いで患者さんをさばいている。私もしっかり頑張ろうと思った。
アパートに戻り、すぐ近くのブルーバードホテルで食事。一人分の食事が来ない。尋ねてみると、忘れていたようで、慌てて運んできた料理は全然違うものだった。明らかに違う料理なのにウエイターは、これだ!と平気な様子。日本じゃ有り得ないだろうが、ここでは、なんとなくこれで過ぎていく。こんな緩い感じが、とても面白くて、少し心地よかった。

9月18日(火)
プムワニ村へは、9時過ぎに到着し、それぞれが手際よく準備を始めた。
この日は、スタートと同時に患者さんがやってきた。今日は、山本先生の娘さんのセイラさんが補助をしてくれた。
英語も話せる方なので、昨日よりもスムーズに治療が進む。
ベッド1台と、イス2脚をブース内にセットして、背部痛や膝痛の方などを分けて治療した。鍼灸治療。治療時間は、一人15分程度。鍼治療だけでなく、慢性症の方へはお灸も併用する。混み合う時間帯などは、ブースの外のイスを使用しながら治療したが、私一人ではできなかったと思う。問診の段階で、セイラさんがある程度、主訴を絞ってくれ、それに合わせてベッドやイスを選択して治療した。お灸の取り外しなども、彼女にお願いできたので、ストレスなく終えられた。この日は40名に治療をした。
普段、日本で行っているような治療法も少し取り入れてみた。ここでは局所の治療を望む方ばかりなので、遠隔治療は理解されないのかと思ったが、ある患者さんが痛みの変化にとても喜んでくれた。治療内容を、言葉でうまく説明できたわけではないので、シンプルに効果があるということが、非常にうれしかった。
お昼ごはんは、毎日豪華でどれもおいしくいただいた。ライス・チャパティ・チキンの煮込み・辛いソース・青菜の炒め物など、今年はとてもおいしいと、毎年来ている宮城島先生が言っていた。ただ、現地のボランティアスタッフの方の山盛りのご飯の量には、正直驚いた。隣で食べている姿を見て、この一食がこの方たちの一日分のご飯なのだと思った。

9月19日(水)
必死にやっていたら、気が付いたら51人に治療をしていた。今日も、朝から患者さんがたくさんやってきた。
治療スタイルはいつもと変わらずだが、今日は明らかに患者さんの数が多い。セイラさんが補助に入ってくれたので、昨日と同じように治療をすすめた。
忙しい中でも、ふと、この人たちが次に鍼を受けることができるのは来年なのかと思うと、もっとしっかりやってあげたいという気持ちが強くなった。しかしブースの外では、たくさんの人が待っている。仕方ないことだが、複雑な気持ちになった。
必死にやっていたら、気が付いたら51人に治療をしていた。
セイラさんの補助なくしては、到底できなかった人数だと思う。
また、鍼をしてしばらく待ってもらっているとき、普段の生活でできるアドバイスをしたいのだが、なんと伝えればいいのかわからずに、とても悔しい思いをした。
もし、また来ることができるのなら、いろいろな種類の生活のアドバイスを準備したいと思った。

9月20日(木)
今日は、昼過ぎに小学校を訪問する日だった。午前中の診療では、昨日転倒して、手首痛と指が痛くて曲げられないという患者さんが来た。痛みが強そうだったのと、手首が少し腫れていたので、時間をかけて話を聞き、丁寧に治療した。
治療後は、指を動かす角度に大きな変化はなかったが、痛みは少し和らいだと言っていた。
痛みがまだ残っていたら、明日も来てくださいと伝えた。
全員がお昼ご飯を食べ終えた頃、診療を一時中断し、みんなで小学校に向かった。
毎年、このキャンプの際には地元の小学校へ鉛筆やノート、サッカーボールなどを寄付しているという。子供たちに会えるのが、朝からとても楽しみだった。
小学校へ歩いていく時は、現地ボランティアの方が私たちの周りを取り囲むように歩いてくれていた。しかし、10分ほどのその道のりは、まさにスラムで暮らす人々の暮らしを目の当たりにする機会となった。道で売られている食べ物には、たくさんのハエがたかっている。マスクをしていても容赦なくキツイにおいが鼻につく。
なんのにおいとも言えない、こんなにおいは嗅いだことがない。
アロマの精油も使えるかなと思い、いくつか持って行っていたのだが、この環境では、到底アロマなんて使える余裕はないと思った。
小学校を訪問。小学校に無事到着すると、子供たちが感謝の踊りを見せてくれた。同じ制服を着て、少し照れた顔でかわいく踊る子供たちが、本当に愛しかった。ここにいる子供たちみんなが、自分の夢を叶えて幸せになってほしいと、心からそう願った。
小学校から戻り、また診療をスタートした。この日は、38人に鍼をした。
終わりに近づき、鍼灸ブースを片づけていると、検査室から小さな女の子が看護師の山田さんや河瀬さんに連れられてやってきた。HIVの検査で採血をするのに、ベッドが必要だったとのこと。母親らしき女性が、この子は2歳だというのだが、明らかに小さい。よく話を聞くと、母親だと思っていた女性は、実は違い、本当の母親はこの子供が3か月の時に亡くなってしまったのだという。こんな現状が当たり前に起こっていることに、胸が痛かった。検査の結果は、HIV陰性。とてもほっとした。

9月21日(金)
この日の朝、山本先生と娘のセイラさんが一足早く帰国となった。
今日は一般診療、最終日!!お手伝いをしてくれたセイラさんがいないため、一人でやらなければいけない。少しの緊張感の中始まった最終日だったが、開始早々に患者さんがどっとやってきた。とにかく必死で治療にあたった。
ここにきて、少しずつ、言葉もわかるようになってきた。現地の方へは、やはりスワヒリ語で話しかけると笑顔を見せてくれる。言葉はうまく通じなくても、こちらが必死で訴えれば、なんとなく気持ちが通じるようだ。たぶん。通じていたはず…。
昨日、手首と指の痛みで来ていた患者さんが、今日も来てくれた。この日も、治療後には少し指が動かせるようになり、わずかだが良くなっていっている。しかし、この方を治療できるのも今日で最後。継続的に治療ができればどんなに良いのだろうと思った。日本から持ってきていたクールジェルを丁寧に右腕に塗りこんで、治療は終了した。
中には、5日間連続で治療にやってきた患者さんもいた。特になにかを話すわけではないのだが、毎日来る。昨日と比べて調子はどうですか?と聞いても、変わらないという。だからなのか、毎日来る。しかし、最後の最後で、よく眠れるようになったと言ってくれた。鍼が効いていないのかなと、不安に思っていた分、とてもうれしかった。寝つきが悪いとか、眠りが浅いなどといった不定愁訴は、鍼灸の得意分野である。彼を毎日治療できたことは、私にとっても、とても貴重な経験となった。
決してうまくいく患者さんばかりではなかったが、なんとかやり切り、気が付くと51人に鍼をしていた。
無事に終えられたことにガッツポーズ。各ブースが片づけられ、再びなにもなくなったホール。改めて見渡してみると、ここにあんなにたくさんの方が来ていたのかと、一つ一つの出来事が蘇ってくるようだった。終わった瞬間の達成感と、解放感は、言葉では言い表せないほどであった。
毎日忙しかった薬局の占部さん。内科の宮城島先生、澤田先生も同じで、無事に終えられたことに、ガッツポーズしていた。
その後、稲田先生からチャイの差し入れがあり、みんなでおいしくいただいた。
さらに、ケニアメディカルキャンプ初参加組には、稲田先生からケニアの民族衣装がプレゼントされた。
こうして、一般診療は無事に終了したのだった。

9月22日(土)
今日は、HIV陽性者フォローアップの日。
初日と同じ場所での診療となった。この日も、鍼灸ブースのセッテイングから取り掛かる。
内科のパソコンの接続の調子が悪く、少し押し気味のスタート。
しかし、準備は整っても、予約していた患者さんが全く来ないのだという。もちろん、鍼灸にも患者さんがやってこない。無料で治療が受けられて、薬ももらえるのに、どうして来ないのかと、私は不思議だった。お昼時に、その話を神戸の松尾先生に聞いてみたところ、やはりそれぞれに生活があり、金銭的にも仕事を休んでくるという状況が難しいのではないか。ということだった。彼らは、診察を受けるまでに、いろいろな問題をクリアしなければならないのかと思った。
治療中もいろいろと話しかけてくれ、こちらが元気をいただいた。鍼灸は、ゆったりとした時間の中で、6人の患者さんへ治療をした。現地でも、HIV陽性者に対する差別はあるのだという。しかし、私が治療したHIV陽性者の方は、みなさんとても明るかった。治療中も、いろいろと話しかけてくれ、こちらが、元気をいただいたような気がした。
この日は、午前で診療を終えるはずが、最終的に終わったのは3時過ぎであった。
その後、稲田先生を残し、私たちはマサイマーケットへ向かった。お土産を買うためだ。
到着してみると、私の想像をはるかに超える光景が広がっていた。マサイマーケットに入った途端、取り囲んでくる人たち。シスター、シスター、と話しかけてくる。離れようとしてもどんどん追いかけてくる。こんな状況は初めてなので驚いた。さらに買い物は、値段交渉から始まる。あまりにも激しいそのやり取りに圧倒されてしまい、買い物をあきらめてマサイマーケットの入口へ戻ると、今度は小さな子供を抱いたまだ若い女性が、シスターと言いながら近づいてきた。「この子に食べさせるものがない。何かちょうだい」と言っている。「Sorry Sorry」と言っても、まったく離れていく様子がない。
どこへも行き場がなくなり、再びマサイマーケットへ戻り、買い物にチャレンジすることにした。結局、占部さんに手伝ってもらい、無事買い物をすることができた。
全員が約束の時間に買い物を終え、集合した。袋いっぱいにお土産を抱えたみんなは、とても充実したいい顔をしていた。
この日の夕食は、山羊の丸焼きを食べに連れて行ってくれた。山羊のお肉は初めてだったが、おいしかった。

9月23日(日)
観光の日。昨日で診療は終了したため、今日は観光の日。
朝5時から車に乗り込み、車で1時間半ほどのところにあるサファリへ向かった。
キリンやシマウマ、インパラ、カバを見ることができた。残念ながら、ライオンなどの肉食動物には会えなかったが、シマウマが走る姿など、どの動物も日本の動物園で見るより、ずっと自由に、いきいきとしていた。
今回のサファリは、前日になって急遽行けることになったのだが、本当にこれてよかったと思った。ただ、非常に寒いので、サファリへいく時はしっかりとした防寒対策が必要だと思った。
サファリから戻り、稲田先生、宮城島先生と合流し、この日のメインイベントであるモヨホームへ向かった。
松下照美さんがやっている孤児院だ。釧路でも講演していただいたことがある。
子供たちが作ったというお昼を一緒にごちそうになり、自己紹介をした。
松下さんが、子供たちの自己紹介の際に一人ひとり説明をしてくれた。いろいろな理由でここに集まってきた子供たちだが、松下照美さんがやっている孤児院モヨホーム。松下さんが、それぞれの子の将来をきちんと考えて向き合っている姿が伝わり、感動した。子供たちが、太鼓や、一発芸で私たちを歓迎してくれた。笑顔が絶えず、ここで暮らすことができる子供たちは、幸せだなと思った。
さらに、この日の夜は、ケニアにあるアメリカ大使館の方のお宅へ招待していただいた。
ボランティアとして診療に参加してくださっていた田中みきこさんという女性のお家だ。
入口の門には。門番がいる大きなお家。あまりにきれいな建物に、ここがケニアであることを忘れてしまいそうだった。
おいしい料理にお酒が進み、本当に楽しい夜だった。
この時、今回のケニアメディカルキャンプで感じたことをそれぞれ話し合うことができた。みなさんのお話を聞かせていただけて、とても有意義な時間となった。
また、個人的な感想ではあるが、鍼灸師として、現地に滞在している1週間で神戸の先生方や、名古屋の山本先生、岩手医大の学生さんたちから、鍼灸に関する様々な質問を受けた。実際に、治療をしたり、お灸の体験をしてもらったりした。このように、実際に臨床の場で活躍されている先生方や、これからお医者さんになろうとする学生に、鍼灸を少しでも理解してもらい、今後の、治療の選択肢の一つに鍼灸を取り入れてもらえたらいいなと思った。

9月24日(月)
今日は、いよいよ日本へ帰る日だ。
お昼までの時間を部屋でゆっくりと過ごし、荷物をまとめてみんなで昼ご飯を食べに、いつものブルーバードホテルへ向かった。
昼食を食べてからは、車にトランクを積み込み、空港へ向かう。
稲田先生と、挨拶をして空港内へ。少し時間があったので、余っていたケニアシリングでお買い物。ここは値段交渉がないので買いやすい。ただし、同じものでもマサイマーケットよりは高くなっているので、やはり、お土産を買うならマサイマーケットがお得なのだと思う。
無事、飛行機へ乗り込みドバイへ。数時間はあっという間に経ち、ドバイへ着いた。
みんなお土産を買ったり、お茶をしたり、ソファで横になったりと、それぞれが思い思いに最後の時間を過ごした。
ドバイから関空までは、再び長時間のフライトになる。
私は、この辺りから全身の関節が痛くなり始めた。食欲もなく、おかしいなと思いながら、とにかく寝ることにした。
関空に到着。それぞれに挨拶をし、宮城島先生の「お疲れ様でした!!」という声とともに、今回のチームジャパンは解散した。
しかし、釧路組はまだ釧路へは帰れない。まずは、和食を求めてお蕎麦屋さんに入った。久しぶりのお蕎麦。最高においしく感じ、ほっとする瞬間だった。
その後、千歳空港へ向けて飛行機へ乗り込んだ。やはり、体調がよくないので、隣の席の宮城島先生に相談し、薬をもらった。すぐ横にお医者さんも看護師さんもいる。具合が悪くなるなら、こんな環境がいいなぁ…と思ながら、寝た。
千歳空港に着いてからは、札幌に住む占部さんとお別れをし、空港内のホテルで後泊となった。予想通り熱があり、みんなよりも先に休ませてもらった。

9月26日(水)
それぞれ各自で朝食を食べ、7時半にロビーへ集合。朝一番8時の便で釧路空港へ向けて飛び立った。
釧路へ着くと、迎えに来てくれていた方たちと再会。いつもの景色、見慣れた顔を見て、心からほっとした。と同時に、体の力がどっと抜けるのを感じた。
今回は、初めての大人数での参加となったが、大きな事故やトラブルもなく、全員が無事に帰国できたことを、稲田先生はじめ、最初から最後まで私たちをまとめ、引っ張ってきて下さった宮城島先生に心から感謝致します。

ケニアメディカルキャンプを振り返って
このキャンプに参加させていただいて、一番に感じたことは、日本とケニアのスラムの現状の違いだ。日本という国しか知らなかった私にとって、ケニアの現状はどれも想像以上で、見るものや感じることすべてが衝撃的だった。ここで生活している人たちにとって、本当に必要なものはなんだろう。ここで生活している人たちにとって、本当に必要なものはなんだろう。日本で当たり前に行われている教育や、公衆衛生について考えた。環境も、幸せや贅沢の感覚も、あまりに違いすぎた。
鍼灸師として振り返ってみると、鍼を刺すとき、痛い思いをさせてしまった方も何名かおり、言葉がうまく通じなくて、こちらの意図が伝えられずに、不服そうな表情で帰って行った人もいた。この1週間で自分が何かをしてあげられたというよりは、とにかく様々なことを学ばせていただいた気がする。鍼灸は、直接体に触れ、患者さんの温度を感じることができる。治療内容や、生活のアドバイスなどの細かな説明も、置鍼する時間のある鍼灸ブースだからこそ必要なことだと思った。もう一度、行く機会があれば、その辺りを強化して臨みたいと思う。
そして、現地の方へ鍼をするだけでなく、自分も含め参加メンバーの体のケアをすることも、鍼灸師の大切な役割ではないかと思った。
日本へ戻り、ケニアでの出来事を思い出すと、本当に夢のようで、かけがえのない経験をさせていただいたと思う。ケニアや現地の方々からいただいたものがあまりに大きすぎて、これからどう返していったらよいのか、今はまだ思いつかない。しかし、私が見たことや、感じたことを、せめて自分の周りにいる人たちには、きちんと伝えていかなければならないと思った。
今回のキャンプを通して、確かに感じたことは、毎年続けることがどれだけ意義深いものかということ。決して楽ではないスケジュールで、ハードな2週間である。それでも、現地には、この日を待っている人がたくさんいる。
イルファー釧路チームと稲田先生。遠い異国の地で、熱意をもって頑張っている稲田先生を、これからも応援し続けなければならないと思った。
ケニアへ行くことだけが、すべてではないと思う。この活動を知って、応援し支えてくださる方がいるからこそ、続けていけるものだと思う。
この度、私は、皆様の温かいご支援のおかげで人生の財産となるような大変貴重な経験をさせていただきました。このような活動が、今後途絶えることなく継続していけますよう、変わらぬご支援をお願い申し上げます。本当に、ありがとうございました。