稲田先生特別寄稿

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

ケニア共和国って?? / 稲田 頼太郎(ILFAR代表・在ケニア)

 ケニア共和国におけるAIDS医療モデル体制構築活動も今年で10年の節目を迎えた。思い起こせば、プロテアーゼという新抗HIV薬が登場した1996年、バンクーバーでの国際エイズ学会では この種の薬剤に関する発表が目白押しだったことを記憶している。私にとっては奇跡に近い新薬登場に、それを待てずに世を去った患者のへの無念さが胸を突き刺した。確かに抗HIV薬剤の開発はその後目覚しい進歩を遂げ、今ではHIV感染症は慢性病の仲間入りを果たしたといっても過言ではない時代に入った。その時、これで患者が救えるなと、、、思った。その2年後の1998年、スイス、ロザーンヌで開かれた国際エイズ学会では、Bridging the worldのテーマの下、開発国のみならず開発途上国を対象とした治療薬の普及が叫ばれ、安価な薬剤の途上国へ配布、早期のワクチンの開発が話し合われた。この時、アフリカの感染者患者にも薬剤の恩恵をなんとかもたらさなければあまりにも不公平ではないか、、、、と思った。
その思いを実現に向けて、動き始めたのが2000年1月、ケニア、エチオピア、ウガンダの三ヶ国をエイズ事情調査のために回る機会に恵まれた。その年の7月、南アフリカ、ダーバンで行われた国際学会の岐路、賛同者とともにケニアに立ち寄り第一回無料診療を開始してから10年の月日が流れた。その10年目の2010年、ようやく当時の"現場に立つこと"の思いを多くの支援に支えられながら現実にすることができるようになった。
 現場での活動は、過去10年の経験から承知はしていたが、ケニア文化の生易しくない現実と毎日向かい合っている。苦とはまったく思わないが、フラストレーションが溜まることは確かだ。これを克服してこそ、本当の意味での活動ができるのではないかと思っている。

 4月某日:患者との接点である医療活動、これまた大変である。指定した日にやってこない。ひょこっと現れ、検査をしてほしいとか、結果を聞きに来たという。この結果を出すまでの行程に費やす人的労力、試薬などの経費など天から降ってくるものと思っているのだろうか、援助と言う名の悪循環がそのような意識にしてしまったのだろうか?結果は我々のためのものではなく、患者本人のものであり、病勢をいかに把握し、それをコントロールしていくかを知るためのものであることを懇々と説明し、、きちんと来診(アポイント制導入)しなければ良いことも悪いことも伝えられないと説くことにほとんどの時間を費やす。それでもここに行くと血液だけとってモルモットにされるとうわさを流す連中もいると聞く。

 4月某日:日本の神戸のある企業からの支援の医療機器の受け取りに空港へ出かけた。まずは貨物航空会社に出向く。到着機材の確認である。航空会社の事務所に入ったとたん、首にIDカード(本物か偽者かは不明)をつけた連中が群がり、 "マスター"と言って声をかけてくる。まるでマサイ土産物マーケットの客引きのようだ。こちらの意向にかかわらず、あたかも税関の職員(?)のような態度で荷物引き受けの行程を説明してくる。輸出入代行のエージェントだ。何年か前のことを思い出し、結局彼らは通訳程度のことしかできないことも知っていた。内容物を知らないのに、何ができるかも前回で経験した、無視の戦法を取った。それでもついてくる。終始無視がようやく彼らの執拗な勧誘から逃れることができた。航空会社で荷物到着の確認の後、書類をわたされ、ある事務所へ行けという。そこへ行くと、今度は別のところに行けという。そこからまた前の事務所へ行け、今度はあそこに行け、ここに行けと各所で渡された書類が40枚くらいになったであろうか、言われるままに右往左往すること7時間、いや前日の3時間(時間切れで明日来いといわれた)を含めると10時間以上を費やした。この間税関で荷物は医療機器である故、課税対象ではないことを説明する。それを裏付ける書類をもってこい。仕方なし搬送先の一時的に名前を借りている団体へ出かける。そこでこれと思しき書類を持ってまた税関に戻るも、これではだめと一方的。もうあきらめた。戦術転換、課税額を支払うこととした。課税額は総価値のなんと16%である。えらい額になりそうだ。税関職員が価値の査定をする間、懇々と活動の内容やこの機器を使っての検査が無料であることを説明した。ついには、あんたが来ても無料だよとお世辞を言う始末。査察価格をできるだけ低くしてもらうために必死の役者を演じた。私の生まれ持っての調子者が功を奏したのか、査察価格は本来の15分の一程度に、内心ほくそ笑んだ。手心を加えてくれたのかそれとも内容物の真の価格を査定できなかったのは不明であるが、荷物を引き出すことへのあくなき執着心代として多少袖の下(すいません領収書がありません、ご勘弁を、、)が必要だったこともケニア文化であったようだ。それでも一部の職員は親身になってくれた。我々にとってベストである方法を調査してくれたり、示唆してくれた職員もいた。こんな人が増えれば、ケニアはもっと良くなるだろう。

 きっとこれの繰り返しがずっと続くのであろうが、我々がベストを尽くすことで患者、感染者の病気に対する我々のケアーの真の理解につながる事を信じつつ、、就寝!!。