ケニアレポート(2013)

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

フリーメディカルキャンプ'13レポート / 石川麻倫(内科医)

2013年9月13日(金) さぁ出発
長袖+毛布2枚は必須。 集合時間ギリギリまで病院で残務を整理し、看護師さん達に「先生まだいたの!? 早くしないと遅れちゃうよ」と背中を押されて釧路空港へ。我々釧路組(宮城島先生、熊坂さん、石川)は、釧路→羽田→成田と移動し、札幌組(佐藤先生、占部さん)と東京組(青山さん)と合流。最後の日本食(お蕎麦)を食べて、いざ出国。一路、アブダビへと向かう。エティハド航空での旅であったが、機内が恐ろしく寒かったのが印象的。長袖+毛布2枚は必須。

2013年9月14日(土) 朝から
 アブダビ(アラブ首長国連邦)に到着。ナイロビ便まで時間があるため、飲みながら(もちろんアルコール)今回のケニアキャンプへの意気込みを互いに語り合う。
 到着したナイロビのケニヤッタ空港は火災から完全復活しておらず、かろうじて屋根と壁がある程度。入国も税関もほぼスルー。引き止められたり絡まれたりせず、大きな問題もなく空港を脱出しケニア組(稲田先生、四倉くん、アリ、ワンボゴ、アブドゥーラ)と合流する。
 挨拶を交わした後、無事到着を祝って乾杯。タスカーを片手に神戸組(福地先生、蓮池先生)と札幌組その2(橋本先生)を待つ。2時間後、ようやく全員集合。一同揃って宿泊場所へ。途中、道端でキリンとシマウマを見かけ、アフリカに来たことを実感。

2013年9月15日(日) Day 0 〜HIV positive follow〜
忙しい歯科 本日はHIV positive患者のfollow。新たにケニア組その2(五十嵐さん、その他現地スタッフ)と挨拶を交わす。メインは歯科と鍼灸で、忙しそうな彼らを横目に我々内科は英語のリハビリを兼ねて診察(の練習)。






2013年9月16日(月) Day 1
初日は午後診療で終了。 ナイロビの平日の朝は交通渋滞が酷い。とにかく車が多く、そして交通ルールもマナーもあったもんじゃない。名ドライバー:アブドゥーラの運転で無事に臨時クリニックへ到着。自然と拍手が沸き起こる。
 ケニアは基本ポレポレ(Polepole:ゆっくり)な姿勢なので診察準備がなかなか進まず、初日は午後診療で終了。私の記念すべき初患者はいきなりの心不全。「咳・眼の痒み・胸痛の訴えが多いよー」と聞いていたので、不意打ちをくらった感じ。日本であれば色々な検査や治療ができただろうが、今回のキャンプでは資源に限りがあり、検査→聴診器・血圧計・ペンライト、薬→対症療法が中心、であるため、呼吸苦・下腿浮腫に対して利尿剤と塩分制限指導をして終了。「これしかできなくて申し訳ない」と頭を下げる私に対して、「ありがとう」と返してくれる患者さん。与えられた環境で、自分にできる限りのことをしよう!、と心に決める。

2013年9月17日(火) Day 2
 この日も交通渋滞に揉まれ、無事到着。しかし、準備が整わず、なかなか診療が始まらない。Bossが隣でイライラしているのが伝わってくる…。Bossようやく診療が始まり、私のところへ外傷患者が2名立て続けに来る。
 1人目は、毎年このキャンプに来るという交通外傷の30代の男性(通称:右脚の人)。交通外傷で右前脛骨部の皮膚・筋肉が無く、毎年包交目的に訪れるらしい。Boss曰く、「数年前から現れて、毎年どんどん肉芽が形成されてきている。すごい」とのこと。洗浄後、軟膏ガーゼで創部を覆い、包帯で固定し処置終了。
 2人目は、主訴:左手が腫れている、という20代の女性(通称:手の人)。左手に巻いてある布をとってみると、左第3指に著明な浮腫を伴う挫創があり、第2・4指と皮膚同士がくっついている。また、左前腕に圧痛を伴う浮腫を認め、蜂窩織炎の状態。すぐに洗浄し、壊死物質でくっついている指同士をはがす。痛みが強くなかなか処置が進まなかったが、剥がし終えた後、軟膏ガーゼで創部を覆い包帯で固定。経口抗生剤を処方して翌日来るように伝える。

2013年9月18日(水) Day 3
 やはり朝の交通渋滞はキツい。この日も無事キャンプ地へ到着し、車内から拍手が起こる。Bossが現地のスタッフに気合いを入れた影響か、この日は到着時に既に準備が完了しており、午前中から診療開始。ポレポレに順応していた私達は、「こんなに準備万端なんて奇跡だ」と感動する。
 いつの間にか、私は2013年ケニアキャンプの外傷担当になったらしい。右脚の人、手の人に加えて、新患(新しい患者、の意)として強盗に襲われて左耳がちぎれた30代の男性(通称:耳の人)が来院。耳の人幸いにして軟骨は裂けていなかったため、歯科の麻酔・針糸・ペアン・ピンセット・ハサミを借りて縫合開始。屋内はライトが無く薄暗いため、屋外での処置。最後に経口抗生剤を処方して、翌日また来院するように伝える。
 右脚の人は約束通りに現れ、洗浄・包交を受ける。Bossも覗きに来て「こんな状態なのにまだ生きているって、本当にすごいな…」と呟き、また診療ブースへと戻っていく。
 手の人も約束通りに来院したため、処置開始。1日でよくこんなにも汚くなるな…と感動するくらい包帯が真っ黒になっている。この村の人々の衛生環境が本当に心配だ。指同士はくっついていなく、第2・4指の皮膚はふやけているだけで剥離していないことが判明したため一安心。第3指の筋肉の間に壊死物質がつまっていたためデブリドマンを施行する。処置に伴う痛みが強く、嫌われたかもしれないが、何とかデブリドマン終了。包交後、また翌日来るように伝える。

2013年9月19日(木) Day 4
 この日も交通渋滞g…(以下略)。外傷担当の私の元へ、またこの日も新患が訪れる。1週間前から左足首が腫れてきたという30代の女性(通称:左足の人)。問診するに、どうやら虫さされを契機に潰瘍ができ、そこに感染がついたようだ。皮下に溜まっている膿を排出し(処置が痛くて、またしても嫌われたと思う)、軟膏ガーゼで覆う。経口抗生剤を処方後、痛いであろう左足をちゃんと地面につきながら歩いて帰っていく姿を見て、この村の人はたくましいな…と痛感する。
 右脚の人はこの日もちゃんと訪れ、洗浄、包交を受ける。本当にたくましい。
 手の人は、何と前腕と左第3指の浮腫が消失し、疼痛も軽減している。たったあれだけの処置でこんなに軽快するなんて、本当に本当にたくましい。洗浄後、軟膏ガーゼで覆い、包帯で固定して終了。
 耳の人は縫合部に感染徴候は認めず(肌が黒いためわかりにくいが、きっと大丈夫)、疼痛コントロールもNSAIDsで良好であり、経過良好。1週間後に稲田クリニックで抜糸予定とする。
 小児とその親を神戸・札幌組が診療していたが、あまりにも数が多すぎるため、この日から釧路組も小児科に手を出すことに。色々な症状を抱えていながらも、経済的理由で病院に行けない患者さんがたくさん来る。微力ながらもできるだけ多くの人を診よう、と悪戦苦闘している私を尻目に、隣でBossが100人斬りをやってのける。どこに行っても本当に凄い人だ…と改めて痛感する。

2013年9月20日(金) Day 5
 この日も交通渋t…(以下略)。午前午後診療最終日であるため、皆で気合いを入れる。
 この日、右脚の人は来院せず。どうしたのか気になるが、連絡先もわからないためどうしようもない。また翌日来るのを待つことにする。
 手の人はポレポレすぎて診療終了後に来てしまったため、処置を受けれず。こちらも、また翌日来るのを待つことにする。
 指切った人耳の人は、処置に対するお礼を言いにわざわざ来院。どうやら来年一緒にこのキャンプにボランティアとして参加してくれるらしい。実際に約束を守ってもらえるかどうかはわからないが、仮に一時だけであっても、そう思ってもらえたことに感謝する。
 左足の人は、包交の仕方を指導しながらガーゼ交換を施行。本人用の軟膏を渡して、処置終了。
 もう外傷は来ないだろうと一息ついたところへ、新患が来院。どうやら、「あそこに行けば縫ってくれる」と聞いてやって来たらしい。口コミの力で新患がさらに2人。
 1人目は、仕事中に右第3・4指間を切ってしまった50代男性(通称:指切った人)。耳の人同様、洗浄→縫合とする。処置中、とにかく感謝の言葉を言い続けてくれていたのが印象的。
 2人目は、強盗に屶(ナタ)で左前腕を切られた30代女性(通称:ナタの人)。受傷後すぐに病院に行ったそうだが、お金がなかったため、ガーゼで覆う→テープで固定→処置終了!、とされたらしい。あそこに行けば縫ってくれる、と聞いてきた、とのこと。しかし、傷がとても深く、骨折の可能性もあったため、紹介状持参で再度病院へ行ってもらうこととする。

2013年9月21日(土) Day 6+Negotiation
 この日は土曜日であり、交通渋滞はほとんど無し。どうやらケニアは週休2日制らしい。
 右脚の人はこの日も来院せず…。来年のキャンプに現れることを祈ることとする。
 手の人も来院せず…。無事に治ることを祈ることとする。
 指切った人は約束通り来院。創部に感染は認めず一安心。後日稲田クリニックで抜糸を受けるよう伝える。
 なんと、ナタの人がまた来院!どうやら、骨折は無かったようだが、やはり縫合されずにガーゼ保護だけされている。こちらも洗浄後に縫合。後日稲田クリニックで抜糸の方針に。
 そしてようやく全診療予定が終了。
 マサイマーケット昼食後、午後からマサイマーケット(土日のみ開催)へ行く直前に、テロのニュースが届く。その時点ではこんな大きな事件になるとは露知らず、私達の頭の中は「いかに良い物を安く手に入れるか」でいっぱい。私はほぼ予算通りで、内科Dr.へのお土産と家族へのお土産を手に入れられて大満足のうちに買い物終了。そうこうしているうちにテロ事件の被害がどんどん広がり始め、私達は宿泊場所へと逃げ帰るように戻る。幸いにして日本人の被害は無かったものの、多くの方の尊い命が犠牲となる大きな事件となってしまった…。

2013年9月22日(日) Safari
サファリへ野生動物を観察に 朝からサファリへ野生動物を観察に出発。バッファロー、インパラ、ガゼル、キリン、シマウマ、ダチョウ、ほろほろ鳥、カバ、サイ、ワニ、ライオン。本当に多くの野生動物に出会う。サファリ景色は釧路湿原のそれと似ていて、何となく懐かしい気持ちになる。





2013年9月23日(月) さて帰ろう
共に闘い共に飲んだ仲間 ついにケニア出立の時。共に闘い共に飲んだ仲間との別れは、たった1週間とはいえ、やはり寂しい。全員と握手し、再会を誓ってケニアを出発。あいかわらずエティハド航空は寒い。やはり長袖+毛布2枚で眠る。






2013年9月24日(火) やっと釧路に
 アブダビを経由してついに成田空港へ到着。ここで札幌組・東京組とお別れ。すぐにまた会えるであろうが、やはり寂しい。互いに「家に帰るまでがケニアキャンプ!」と旅の安全を祈願する。成田→羽田→釧路、とようやく釧路に到着。途中、羽田空港で食べたうどん(体調不良のため、かけうどんが限界)が帰国後最初の日本食となる。釧路空港で迎えに来てくれた人々と再会し、旅の無事を喜び合う。今年は特にテロ事件の関係で、日本にいる人々に不安を与えてしまっていたようで、本当に申し訳ない+心配してくれていてありがとう、という気持ちでいっぱいになる。

2013年9月25日(水) そして日常へ
 朝目が覚め、ちゃんと日本時間通りに起きられた自分に驚く(私は朝が弱く、普段日本にいる時でさえ時間通りに起きることが困難である)。お土産を片手にいつもの通勤道路を歩いて病院へ向かう。今日からはまた、釧路で困っている患者さんたちのお手伝いを、与えられた環境の中で自分のできる限り頑張ろう。そう思った。