ケニアレポート(2006)

The Inada-Lange Foundation for AIDS Research

ケニア2006レポート / 久保 大輔(鍼灸師)

予想以上に盛り上がった壮行会の酒を残しつつ、遂に出発の日がやって来た。不安視していた荷物だが、二人合わせて60kg以上のトランクも釧路からケニアまで直接運んでくれるという。去年と違って幸先がいい。とにかく念願かなって海外ボランティア活動に参加できるのだから、一分一秒を無駄にしないよう貪欲に経験していこうという思いを胸に釧路を経った。その後イルファー名古屋のメンバーと合流して出国、ドバイを経由してほぼ丸一日経ってケニアに到着した。ここでも不安視していた税関が、稲田先生が一足先に着いていたおかげでラクラク通過できた。去年の密輸?の苦労を知っている宮城島先生も肩の力が抜けた感じで、ホテルではビールを美味しそうに飲んでいた(笑)。次の日にはニューヨークからアメリカ人のドクター二人も到着しフルメンバーが揃った。いよいよ明日からキャンプが始まる。

キャンプ初日は、早速HIV陽性者のフォローアップ(患者の健康状態のチェック、採血や投薬の確認等を確認・助言・改善するもの)を行った。採血のサポートの際には、目の前にHIV陽性者がいるのだ、この血液にHIVウィルスが存在するのだという現実を受け入れられず、情けないがカラダがこわばった。なかでも9歳になる少年(もちろん陽性者)が採血の際に、痛い顔ひとつ見せずにジッと我慢している姿を見て胸が熱くなった。その時自分を含め日本人の平和ボケに恥ずかしくなると同時に、明日から一人でも多くの患者を鍼灸で良くしてやる!と強い想いを新たにした。

通訳を介して真面目?に診察しています日曜日のサファリ観光をはさんで、いよいよ月曜日から本格的な治療がスタート。朝、スラム街を抜けてやっとプンワニ村のコミュニティーホールに着くと、稲田先生の歓喜の声が響いた。例年ならばホールに到着後またセッティングに時間をかけるというポレポレ式(日本でいう・・まぁゆっくりやりましょうや)であったが、すでにブースごとに部屋が仕切られてあった。どうやら事前にニューリーダーたちをはじめとする現地ボランティアメンバーでミーティング・段取りを確認しあったようで、彼らの士気の高まりを感じ私も気合が入った。早速、前回の改善事項であったケニア人用カルテ(現地のスワヒリ語で書かれているもの)の準備や一度に数名診療できるようにベッドつくりをする。ここで感じたのが、われわれ日本人の常識はこの地では通用しないということ。YesなのかNoなのか、欲しいのはOneなのかTwoなのかしっかりと口に出して言わないといけない。いくらポレポレな彼らでもハッキリと主張しないと、ある意味ナメてかかってくるし仕事は進まなくなる。なんとか鍼灸ブース作りも済ませ、通訳者のジョセフ(奥さん2人・子供12人!の50歳過ぎのおじさん・・・うらやましい)と握手を交わし、10時過ぎには診療スタート。事前のシミュレーション以上の忙しさであったが、何とか次々と患者に施していく。そんな嵐のような忙しさのなか診療は終わり、初日は約30名を診た。

こんな小さい子供も頑張って治療に来てくれました二日目は、朝ジョセフと簡単なミーティングを行い、よりお互いスムーズに仕事ができるよう話した。そのせいか時間とともにお互いの息も合ってきて、こちらから何も言わなくとも事前に簡単な問診をしてくれていて助かった。やはり人種がちがってもココロを通わすと、お互い理解し合えるのだなと当たり前のことに感動してしまった。この日からは治療時間もほぼ一人あたり15分程度で、同じ時間に3・4人診ることは当たり前になっていた。ほぼ局所治療がメインで、普段日本で行っている根本から病気を診ていくような東洋医学的治療は二割ほどしかできなかった。そんななか到底鍼灸の範囲ではない患者(銃で撃たれたような傷で化膿がかなり進んでいた!)や宗教上(イスラム教?)他の男性の前では服は脱げないと言い出す患者もいて、マスクの中の口はポカーンとしたままであった。夕方には突然スコールのような豪雨で皆が時間を持て余していると、そんななか突然(当然か?)みやGがサックスを吹き始めた。ホールの中は溢れんばかりの盛り上がりをみせ、踊りだす者も。さすが、みやG!やるなっ!やはり僕の口はポカーンとしたままであった。

三日目は特に忙しく、私もエンジンをフル回転させ頑張った。この日印象的だった患者は、肩こりと眼精疲労がツライという14歳の少女(勉強したくとも小さな明かりしかなくどうしても目が疲れてしまうという)やカポジ肉腫(エイズ患者に見られる皮膚症状の一種)の患者を診た。鍼灸師がまさかカポジ肉腫を目の前にするとは思いもよらなかったので多少動揺したが、なんとか施術した(本当にビックリしました!)。まさか二度も吹くとは、さすが、みやG、やるなっ!午後からは近くの小学校に皆様から頂いた寄付品を届けに行った(その小学校までの道のりがこれまた危険で、変なドランカーに行く手をふさがれ万事休すであったがジョセフが助けてくれた)。約300名の生徒たちのうち100名は親のいない子供たちで、驚きだったのはその100名のうち30%はHIV陽性者だという。それでも彼らのキラキラした眼差しを見ていると、どんな貧困の状態でも笑顔で今を生きているのだなと逆に勇気をもらった。そして本日も仕事の後はみやGのリサイタルコンサート。投げ銭の箱まで用意するというジョークも飛び出し、いつの間にか彼の周りは人だかり。二度も吹くとはさすが、みやG!やるなっ!いつの間にか僕も一緒に踊っていた。

四日目もやはり朝から忙しくてんてこ舞いであった。しかし四日目くらいになると、少々の疾患でも驚くことはなくなり冷静に対処できていた。ただ患者の中にはHIV陽性者もいるわけで、忙しさで緩んでいたたずなを今一度締めなおした。またこの時心掛けたことは、ジョセフに対して忙しくてもなるべくイライラせぬよう接し、少しでも頑張ってくれたらズール、ジョセフ!(Great,Joseph!)と声をかけた。そのせいか彼も嫌な顔ひとつ見ず仕事をドンドンこなすようになり、人は誰でも褒められたら気分を良くしてより頑張ってくれるのだなと実感した。この時なぜか私はすこぶる気分爽快であった!また今回私はハリだけではなくお灸も準備していたので、施術に幅を持つことができ患者やスタッフにもたいした好評であった。そのおかげでこの日は約50名という記録的な患者数を診ることができた。

最高の仲間、アリとジョセフにはさまれてキャンプ最終日はジョセフの代わりにアリという青年がサポートしてくれた。彼は以前患者として宮城島先生が診ていた。父親からの虐待で精神的ストレスをかかえうつ状態であったところを先生に救われた。決して決して裕福ではない彼であるが、その恩を返したいと自分の身を削って参加してくれている。このキャンプにはそんな自分自身の生活を顧みず、地元住民のために活動している人がたくさんいる!彼の謙虚で一生懸命な姿を見ていると、もう言葉にならず涙が溢れてきた。そんな彼のサポートもあり、最終日も事故なく遂に全日程を終えることができた。総数は187名で、一つ一つのカルテが僕の変えがたい宝である。今までで一番多くの患者を診たよとお褒めの言葉も頂き心からうれしかった。短い期間であったが実に中身の濃いキャンプで、日本とはまた違う疲労感と大いなる達成感を胸にキャンプが終了した。

最終日はホテルにてスタッフ全員で朝からキャンプの報告会と講義。今回のHIV陽性率は過去5年と比べて減少傾向(それでも依然15%程度はある)にあり喜ばしいことなのだが、新たな問題として薬剤耐性の増加が浮かびあがった。以前から懸念されていたもので、発展途上国特有の中途半端な治療により薬剤が効かないケースが増えている。またアフリカでは見ることができないタイプのウィルスもちらほら見つかり、これも今後に向け大きな不安材料である。いよいよ現地の病院とのタイアップなど新たな展開に迫られている。

鍼灸治療に関しては、今回特にフットワークの軽さを実感できた。西洋医学ではどうしても問診・診察そして最後に薬を処方しないと治療が完結しないが、その点鍼灸治療は極端な話ハリ一本さえあれば世界中どこでも治療ができる(あくまで極端な話です)。そしてほぼあらゆる疾患に対応できることも大きい。身近な風邪から急性・慢性疾患、内臓疾患、婦人科疾患・・・多岐にわたって施術することができる。改めて鍼灸をはじめ東洋医学の奥の深さや神秘なるモノを垣間見ることができました。こんな最高の笑顔、日本じゃ見られません!(左:宮城島、右:久保大輔)やっと私自身いち鍼灸師として、鍼灸の面白さや人間の回復力のすばらしさを実感し、この道を選んで良かったなと思いました。また何と言っても、今回参加した著名な医師やメディカルスタッフ、そして自ら極貧の生活のなかにあるにも関わらず弱者に手をさしのべている現地ボランティアスタッフと肩を並べて活動できたことは本当に大きな財産になりました。私も今回の経験から鍼灸の技術だけではなく、人間として成長できたのではと思っています。次回もぜひ参加したいのが私の本心ですが、自分を変えるであろうこの貴重な体験をぜひ他のメンバーにもトライしてほしいです。日本人スタッフと現地スタッフの意思統一の不備から急降下の危機にあったこのケニアメディカルキャンプも、今回の成功を機にまた大きく羽ばたいていくことを願ってケニアをあとにしました。これからもぜひイルファーの活動にご期待ください。